第11、第12、第13、第14の哨戒 1944年1月 - 11月
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「パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第11、第12、第13、第14の哨戒 1944年1月 - 11月」の解説
1944年1月2日、パーミットは11回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。2月13日、パーミットはウォレアイ環礁近海で、バリクパパンからトラックに向かっていたタンカー富士山丸(飯野海運、9,527トン)、タンカー神国丸(神戸桟橋、10,020トン)、特設運送船天城山丸(三井船舶、7,620トン)と護衛の駆逐艦春雨、時雨からなる船団に発見された。パーミットは急速潜航で87メートルの深度に潜航したが、直後の爆雷攻撃で浸水し、一時は艦のバランスを失いかけたものの、艦尾方向に重心を傾けてようやくバランスを保つことができた。電池も消耗したが、浮上ののち充電して修理を行ったうえで哨戒を続けた。2月17日のトラック島空襲ではトラック南西方に配備された。3月18日、パーミットは74日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がドナルド・A・シェーア少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 4月23日、パーミットは12回目の哨戒でカロリン諸島に向かった。この哨戒でもトラック島への空襲部隊に対する救助配備任務に就き、パーミットは配備水域に5月7日から6月1日まで留まり任務に当たった。パーミットはこの哨戒で、5月26日に伊一六八型潜水艦もしくは伊九型潜水艦を撃沈し、5月29日に3,000トン貨物船を撃破したと報告したが、日本側に該当する記録はなかった。6月5日、パーミットは42日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 6月30日、パーミットは13回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。パーミットはこの哨戒で1隻800トンの戦果を報告したが、これも日本側に該当する記録はなかった。8月13日、パーミットは45日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 9月21日、パーミットは14回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。パーミットは、この海域でこれまで救助配備任務に就いていたターポン (USS Tarpon, SS-175) に代わって同任務に就いた。10月13日、パーミットは武装トロール船に対して魚雷を2本発射し、撃沈を報じた。10月22日にもトロール船に対して魚雷を2本発射したが回避され、爆雷攻撃を受けた。11月11日、パーミットは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがパーミットの最後の哨戒となった。
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