第11、第12、第13、第14の哨戒 1944年1月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第11、第12、第13、第14の哨戒 1944年1月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:08 UTC 版)

パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第11、第12、第13、第14の哨戒 1944年1月 - 11月」の解説

1944年1月2日パーミット11回目哨戒カロリン諸島方面向かった2月13日パーミットウォレアイ環礁近海で、バリクパパンからトラック向かっていたタンカー富士山丸飯野海運、9,527トン)、タンカー神国丸(神戸桟橋10,020トン)、特設運送船天城山丸(三井船舶、7,620トン)と護衛駆逐艦春雨時雨からなる船団発見された。パーミットは急速潜航87メートル深度潜航したが、直後爆雷攻撃浸水し一時は艦のバランス失いけたものの、艦尾方向重心傾けてようやくバランスを保つことができた。電池消耗したが、浮上ののち充電して修理行ったうえで哨戒続けた2月17日トラック島空襲ではトラック南西方配備された。3月18日パーミット74日間行動終えて真珠湾帰投艦長ドナルド・A・シェーア少佐アナポリス1934年組)に代わった。 4月23日パーミット12回目哨戒カロリン諸島向かった。この哨戒でもトラック島への空襲部隊対す救助配備任務に就きパーミット配備水域5月7日から6月1日まで留まり任務当たったパーミットはこの哨戒で、5月26日伊一六八型潜水艦もしくは伊九型潜水艦撃沈し5月29日に3,000トン貨物船撃破した報告したが、日本側に該当する記録はなかった。6月5日パーミット42日間行動終えてマジュロ帰投した。 6月30日パーミット13回目哨戒カロリン諸島方面向かったパーミットはこの哨戒で1隻800トン戦果報告したが、これも日本側に該当する記録はなかった。8月13日パーミット45日間行動終えてブリスベン帰投した。 9月21日パーミット14回目哨戒カロリン諸島方面向かったパーミットは、この海域これまで救助配備任務に就いていたターポン (USS Tarpon, SS-175) に代わって同任務就いた10月13日パーミット武装トロール船に対して魚雷を2本発射し撃沈報じた10月22日にもトロール船に対して魚雷を2本発射した回避され爆雷攻撃受けた11月11日パーミット50日間行動終えて真珠湾帰投。これがパーミット最後哨戒となった

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