第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月
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「フィンバック (潜水艦)」の記事における「第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月」の解説
11月1日、フィンバックは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。今回も搭乗員支援を主として活動した一方で、12月16日未明に北緯27度24分 東経141度44分 / 北緯27.400度 東経141.733度 / 27.400; 141.733の地点で3隻の輸送船団を探知し、まず護衛艦に対して魚雷を3本発射するも命中せず、もう3本発射しても結果は同じだった。約1時間後、今度は目標を輸送船に切り替えて魚雷を3本発射し、2本が海軍徴傭船い号寿山丸(興国汽船、2,111トン)に命中してこれを撃沈した。続いて別の目標と護衛艦に対してそれぞれ魚雷を3本発射したが、これは命中しなかった。12月24日、フィンバックは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 1945年1月20日、フィンバックは12回目の哨戒でプライス (USS Plaice, SS-390) 、シーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。2月9日には北緯29度35分 東経124度56分 / 北緯29.583度 東経124.933度 / 29.583; 124.933の地点で病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)を目撃。しかし、この頃には目ぼしい日本の艦船が一握りの艦船を除いてほとんどいなくなってしまった時期でもあり、攻撃機会もなく戦果を挙げることはなかった。3月25日、フィンバックは62日間の行動を終えて真珠湾に帰投。2度目のオーバーホールを真珠湾で実施し、その途中で終戦を迎えた。
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