第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月とは? わかりやすく解説

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第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:32 UTC 版)

フィンバック (潜水艦)」の記事における「第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月」の解説

11月1日フィンバック11回目哨戒小笠原諸島方面向かった今回搭乗員支援主として活動した一方で12月16日未明北緯2724東経14144分 / 北緯27.400度 東経141.733度 / 27.400; 141.733の地点で3隻の輸送船団探知し、まず護衛艦に対して魚雷3本発射する命中せず、もう3本発射して結果同じだった。約1時間後、今度目標輸送船切り替えて魚雷3本発射し、2本が海軍徴傭船い号寿山丸(興国汽船、2,111トン)に命中してこれを撃沈した続いて別の目標護衛艦に対してそれぞれ魚雷3本発射したが、これは命中しなかった。12月24日フィンバック50日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 1945年1月20日フィンバック12回目哨戒プライス (USS Plaice, SS-390) 、シーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) とウルフパック構成し東シナ海向かった2月9日には北緯2935東経12456分 / 北緯29.583度 東経124.933度 / 29.583; 124.933の地点病院船高砂丸大阪商船、9,315トン)を目撃。しかし、この頃には目ぼしい日本の艦船一握り艦船除いてほとんどいなくなってしまった時期でもあり、攻撃機会もなく戦果挙げることはなかった。3月25日フィンバック62日間行動終えて真珠湾帰投2度目オーバーホール真珠湾実施し、その途中で終戦迎えた

※この「第11、第12の哨戒 1944年11月 - 1945年3月」の解説は、「フィンバック (潜水艦)」の解説の一部です。
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