第四共和国期(維新体制)
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「韓国の歴史年表」の記事における「第四共和国期(維新体制)」の解説
1972年10月17日 - 非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。 11月21日 - 維新憲法案、国民投票で成立。(維新独裁体制) 12月15日 - 第1回統一主体国民会議代議員選挙。 12月23日 - 統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出。 1973年2月27日 - 第9代総選挙 3月3日 - 韓国放送公社(KBS)発足。 6月23日 - 金日成北朝鮮国家主席、「高麗民主連邦共和国」施政方針提唱。 8月8日 - 金大中事件 1974年4月3日 - 民青学連事件 4月28日 - 新民党柳珍山総裁が病死 8月15日文世光事件(陸英修大統領夫人暗殺) ソウル市地下鉄開通(ソウル駅~清凉里駅、現・ソウル交通公社1号線) 8月19日 - 陸英修の国民葬。日本からは田中角栄総理が参列。 8月23日 - 新民党、臨時党大会を開催。新総裁に金泳三を選出。 10月24日 - 東亜日報の記者約180名が社内で集会を開き、「自由言論実践宣言」を採択。東亜放送、韓国日報、朝鮮日報、中央日報でも記者らによる集会が行われ、言論の自由を求める決議を採択した。 11月22日 - フォード大統領が訪韓、朴正熙大統領と会談し、共同声明を発表。翌23日に離韓。 11月27日 - 民主回復国民会議発足。 1975年2月12日 - 維新憲法の是非を問う国民投票実施(→大韓民国の国民投票 (1975年))。維新体制支持が多数を占めた。 3月17日 - 東亜日報、12日より言論の自由や解職記者の復職を求めて新聞製作を拒否し籠城していた同紙記者ら約150名を強制排除、新聞発行を正常化。 4月9日 - 人民革命党再建委員会事件 5月13日 - 大統領緊急措置第9号布告、反政府活動全面禁止 9月1日 - 新国会議事堂竣工 9月22日 - 民防衛隊発足式 1976年3月1日 - 在野指導者、民主救国宣言を発表。 8月18日 - 板門店ポプラ事件(北朝鮮軍、米兵2名殺害) 10月11日 - 全羅南道新安沖沈没船発見 1977年3月10日 - ジミー・カーター米大統領、在韓米軍の撤退発表 6月19日 - 原子力発電所1号機点火 11月11日 - 裡里駅でダイナマイトを満載した貨物列車が爆発(→裡里駅爆発事故) 1978年2月24日 - 尹潽善ら在野指導者、第2の「民主救国宣言」を発表。 4月20日 - 大韓航空機銃撃事件 5月18日 - 統一主体国民会議第2期代議員選挙 7月6日 - 統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出 11月7日 - 米韓連合司令部発足 12月12日 - 第10代総選挙、野党新民党、得票率で与党共和党を上回る。 12月22日 - 政府、76年3月の民主救国宣言で逮捕拘束されていた金大中の刑執行停止と釈放、金芝河の懲役20年への減刑を発表(金大中は27日に釈放)。 1979年2月10日 - カーター米大統領、在韓米軍撤退中止を発表 5月30日 - 新民党定期党大会で、総裁に対政府強硬派の金泳三を選出。 6月29日 - カーター米大統領来韓 8月11日 - 警察機動隊が新民党本部に籠城していたYH貿易の女子工員150名余りを強制排除。その際に女子工員や党職員と殴り合いになり、女子工員一名が死亡(→YH事件)。新民党は強制排除に対し、強く抗議。 10月4日 - 国会、新民党総裁・金泳三除名(金泳三総裁議員職除名波動) 10月16日 - 釜山で反政府デモ、馬山などに拡大(釜馬民主抗争) 10月26日 - 朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件) 10月27日 - 済州道を除く全土に非常戒厳令 11月3日 - 朴正熙大統領の国葬挙行。 11月24日 - ソウル市明洞のYWCA講堂に在野人士が結婚式を名目に結集、統一主体国民会議による大統領選出に反対する「統一主体国民会議による暫定大統領選出阻止国民大会」を開催(YMCA偽装結婚式事件)。 12月6日 - 統一主体国民会議、崔圭夏を大統領に選出 12月12日 - 大統領緊急措置令第9号、政治犯を釈放 12月12日 - 粛軍クーデター、全斗煥保安司令官など新軍部が、韓国軍の実権を掌握。 1980年2月29日 - 政府はこの日、金大中や尹潽善など687名の公民権回復を発表。 4月21日 - 江原道舎北邑の東原炭鉱で労働組合員など3,000名がデモ、賃金の大幅引き上げや労組支部長退陣などを要求し、村を数日間占拠した(舎北事態)。警察官1名が死亡、重軽傷者40名余り。 5月2日 - 民主化を求める学生デモ全国に拡大 5月17日 - 非常戒厳令を全国に拡大(5・17非常戒厳令拡大措置)。 5月18日 - 戒厳軍、光州で武装した学生・市民と衝突(~27日、光州事件) 5月24日 - 金載圭中央情報部長の死刑執行 5月30日 - 国家保衛非常対策委員会が設置。トップの委員長には全斗煥保安司令官兼中央情報部部長代理が就任。 7月31日 - 『創作と批評』や『シアレソリ』など、定期刊行出版物172誌の登録取り消し(言論統廃合の一環として行なわれた)。 8月1日 - 戒厳司令部は、金大中など24名を内乱陰謀罪で軍法会議に起訴したことを発表。 8月13日 - 金泳三新民党総裁が政界引退を表明。 8月27日 - 統一主体国民会議、全斗煥を大統領に選出(→1980年大韓民国大統領選挙) 9月17日 - 普通軍法会議。金大中被告に対し内乱罪を適用、死刑判決が下される。その他の被告23名にも2~20年の実刑を言い渡された。
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