言論統廃合
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言論統廃合(げんろんとうはいごう、朝鮮語: 언론통폐합)は、1980年の5・17非常戒厳令拡大措置により政権を掌握した全斗煥が言論を掌握するために行なわれた、第五共和国時代の大韓民国における言論統制政策である。
- ^ “韓国で新聞系4社がCATV開局”. 日本経済新聞 (2011年12月1日). 2021年12月20日閲覧。
- 1 言論統廃合とは
- 2 言論統廃合の概要
- 3 内容
- 4 規制緩和
言論統廃合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 14:43 UTC 版)
1980年、クーデターによって執権した全斗煥政権によって、マスコミ統制のための「言論統廃合」が断行され、東洋放送も同年11月30日(日曜日)に閉局された。テレビ・ラジオ局は、公営の韓国放送公社(KBS)がその事業を引き継ぎ、KBS第2テレビジョン、KBS第3ラジオ(当時。現在の第2ラジオ“Happy FM”)、KBS第2FMとなった。その最後の放送日である1980年11月30日の夜、東洋放送テレビではお別れの特別番組が放映され、ラジオでは夜11時の「夜を忘れたあなたに」で、司会者のファン・イニョンが涙声の告別番組が送出された。これは政権による強制的な統廃合であるが、建前としては自主的な統廃合であったため、政府からは「悲壮感や涙ながらの内容にならないように」と注文されたという。当時の有名司会者ホ・チャムは、トーク番組「膝打ち導師」の2008年3月12日放送分で「東洋放送の告別放送で多くの歌手が泣いて、涙の海になってしまった。特にイ・ウナはこの放送で泣いたことで、しばらく放送局への出演が停止された」と語った。この当時の詳細なコメントについてはこちらを参照されたい。
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