知の制限としての蒙昧主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:37 UTC 版)
「蒙昧主義」の記事における「知の制限としての蒙昧主義」の解説
知の制限としての蒙昧主義の起源には、プラトンの『国家』における議論がある。これはのち新プラトン主義や否定神学、キリスト教神秘主義、ヘルメス主義らが、「いいようのなさ」つまり表現不可能性という概念によって間接的に語るやり方に受け継がれた。当初、プラトン『国家』では、社会を安定させておくために知識が制限されることすなわち民衆が無知であることを好む「蒙昧な統治者(the obscurant)」が問題として扱われていた。 『国家』ではポイニケ(フェニキア)の物語としてテバイの建国神話を紹介する(第三巻414-17)。他の国民も国民もおなじ母なる大地からでてきたという意味では兄弟であるが、神は支配者になる能力を持ったものに金を混ぜ、その補助者(軍人・外人部隊)には銀を、農夫や職人には鉄と銅をまぜた。しかし時には金から銀が、銀から金が生まれる。重要なのは、金を以て生まれてきた子供を見定めることで、神託では「鉄や銅の人間が一国の守護者になるとき、その国は滅びる」といわれる。また、哲人王は、「高貴な嘘(Noble lie)」を使用してよいともされる。 これらの点についてリチャード・クロスマン(英語版)やカール・ポパーらは全体主義または権威主義または「閉じた社会」としてプラトンを批判した。このような意味での蒙昧主義とは、統治上の必要性から人々を無知でいさせる「愚民化政策」であり、反知性主義とエリート主義、したがって反民主主義的なものである。大方の人々にとって知識は必要がなく、真理に関わる必要がないとされる。 18世紀になって、コンドルセは、アリストクラシー体制下の社会問題にかんして蒙昧主義が蔓延していることを痛烈に批判した。 20世紀にはいってからは政治哲学者のレオ・シュトラウスが、プラトンにならい「高貴な嘘」の必要性を説いた。記者シーモア・ハーシュは、シュトラウスによる「高貴な嘘」への言及を、「社会のきずなを維持するための政治家が使用する神話」とした。
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