産業革命の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
イギリスでは世界に先駆けて18世紀から蒸気機関の開発、改良を契機にして工場制機械工業の発達が促され18世紀の中ごろから産業革命が進展した。 最初に工業化したのは軽工業である綿織物の分野で、これは元々イギリスの主要産業の一つであった。蒸気機関を動力とした織機や紡績機の機械化とイノベーションが促され、工場での大量生産が可能になった。軽工業段階では資金はそれほど必要としなかったものの資本の一つとして安価な労働力を必要とした。又動力源となる石炭を採掘する炭鉱や、これを運び出す積出港、綿布の原料となる綿花を引き受ける貿易港でも、労働力を集中させるだけの需要が生まれた。このように労働力が集中した工業都市は中世都市をベースにして近代都市に発展した。一方でこうした都市間を結んで原料を大量に流通させるシステムが必要とされるようになった。こうして生み出されたのが鉄道で1825年に最初の鉄道がリバプール - マンチェスター間に施設された。 こうした社会的な変動は、社会制度そのものに大きな変化をもたらした。資本家が欲した安価な労働力はかねてから進行していた囲い込みと連動して従来の農村のコミュニティを崩し、その余剰人口を引き受けることによって生み出された。こうして都市では労働者という新しい社会階層を生み出すことになった。こうした労働者が大量に工業都市に集中することによって都市化が進展した。こうして人口が爆発的に増加した都市として、イングランドのリバプール、マンチェスター、バーミンガム、スコットランドのグラスゴー、ウェールズのカーディフなどがある。また労働者の集中によって引き起こされた都市化は、農村コミュニティに代わって、職場や学校を中心とする新しい都市のコミュニティを形成させることになった。 経済的には資本家による資本の蓄積が始まって、初期の資本主義形態は産業資本主義に進展した。拡大再生産を継続する産業資本主義はイギリスの外に新しい市場と、原料の供給地を求めることになった。これに刺激され19世紀イギリスでは帝国主義の発展が見られるようになった。 労働の変遷と都市化によって、社会形態は劇的に変化した。資本家と労働者は分化し、双方の間には労働問題が発生した。1810年代には機械化そのものに反発するラッダイト運動がイギリス各地で発生した。19世紀半ばには労働者の地位向上を実践したロバート・オウエンが現れた。これと同時期には更に急進的な主張が表れた。カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスは1848年にロンドンで生産手段の国有化を謳う共産党宣言を発表した。
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