蒸気機関の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 23:52 UTC 版)
「トーマス・ニューコメン」の記事における「蒸気機関の開発」の解説
ニューコメンの機関は、後述の図に示すように、ピストンで蒸気を閉じ込めたシリンダの下端に蒸気の入口と冷水の噴射口とを設けたものであった。冷水入口のコックを回して冷水を噴射して中の蒸気を凝縮すると、シリンダ内が真空(負圧)となるため、ピストン背面の大気がピストンを下へ押し、ピストンを鎖で吊っているビーム(大きなてこ)の一端を引き下げて、ビームの他端から吊り下げたロッドを介して坑道底の排水ポンプで水を汲み上げる。次に蒸気入口の弁を開くと、ポンプの自重でピストンが持ち上げられて、シリンダは、その下のボイラから入ってくる蒸気で再び満たされる。この動作を繰り返してポンプを駆動し、坑道の底に溜まった水を排水するものであった。 この新しい機関は、全体的には既知の部品の組み合わせであり、また当時の技術をうまく総合すれば、不可能なものではなかった。シリンダとピストンは、大きさは異なるが、ゲーリケやパパンらが用いたものであり、ボイラ設備は大きな醸造用の銅製ボイラそのものであり、ポンプ類は以前から鉱山でよく使われていたものであった。当時の職人の手になるこれらの部品を一つの設備として組み上げたことに、大きな特徴があった。個別の独自のアイデアとしては、蒸気の凝縮に冷水の直接噴射を用いること、弁の開閉を自動で行う工夫がされていることなどが挙げられる。 少し以前の1698年にセイヴァリが発明した「火の機関」と比べると、ピストン・シリンダを用いて間接的にポンプを駆動する点、および蒸気の圧力は用いずに蒸気を真空を作り出す用途にだけ利用する点で、大きく異なっていた。 金物商であったニューコメンが、どのようにしてこの機関の着想を得たのか、正確には分からない。セイヴァリはダートマスから15マイル(24km)ほど離れたモッドベリー(英語版)に住んでいたため、ニューコメンとセイヴァリの間で以前から交流があったのではないかとの説もあるが、ニューコメンがセイヴァリの実験を事前に知っていた事実は確認できない。セイヴァリが「火の機関」の特許を取った頃には、ニューコメンらは蒸気機関の考案と試作を独自に行っていたとされ、後でセイヴァリの特許を知ったニューコメンは、やむなくセイヴァリの特許のもとで機関の建造に当たったと考えられている。
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