産業革命と福島県の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「産業革命と福島県の台頭」の解説
「上からの産業革命」といわれる明治政府の殖産興業により、東北地方でも工業・鉱業が始まり、鉱物資源の豊富な秋田県と、大都市である京浜に近い福島県がその中心となった。秋田県では、南秋田郡を中心として、山本郡、河辺郡、由利郡の日本海沿岸の各郡に油脈があり、日本有数の油田地帯を形成した。また、内陸の小坂鉱山などの鉱山も発展した。しかし、これら工業原料を利用した工場はその産出量の割りにほとんど設置されることはなく、一次産品の供給基地に留まった。福島県では、金、銀、銅、石炭、亜鉛、硫黄、硫化鉄等が産出されたが、特に浜通り南部の常磐炭田は東北を代表する炭鉱として多くの労働力を集めた。また、安積疏水などの水力発電を利用した製糸業などで中通り中部の郡山が工業都市として発展するなど、東北の産業革命は福島県が主導した。工業が労働力を集め続けた高度経済成長期あたりまで、福島県は東北地方最大の人口と工業生産力を誇った。 このような産業発展により、日本銀行は、福島県福島市、秋田県秋田市という順序で設置された(工業資本は巨大なため日銀が必要になるが、当時の地方の商業は小資本であるため市中銀行で賄える)。商業都市であった宮城県仙台市には、軍需工場が多く設置された第二次世界大戦中になるまで日銀は設置されなかった。 日本銀行の営業所の開設順 福島支店(1889年・明治32年)全国7番目。開設当初は青森県を除く「東北5県」を管轄(青森県は函館支店の管轄)。新規支店開設の度に管轄域を縮小。 秋田支店(1917年・大正6年)全国12番目。開設当初は、秋田県、青森県、山形県庄内地方という「日本海に面した2県1地方」を管轄。1945年に青森県を青森支店に、1997年に山形県庄内地方を仙台支店山形営業所に譲り、秋田県内のみになった。 仙台支店(1941年・昭和16年)全国19番目。順次管轄域を広げ、現在は「宮城県・岩手県・山形県の3県」、および、「東北6県の取りまとめ」をしている。盛岡営業所(1945年・昭和20年8月)仙台支店の管轄営業所。岩手県を管轄。 山形営業所(1945年・昭和20年8月)仙台支店の管轄営業所。当初は山形県内陸部を管轄。1997年に庄内地方も管轄するようになり、山形県全域が管轄域となる。 青森支店(1945年・昭和20年5月)「青森県内」を管轄。それ以前の青森県は、秋田支店、さらに遡ると、函館支店の管轄であった。
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