工業都市として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
1922年の市制施行当時は繊維産業(綿織物・生糸)が中心で、次いで食料品産業(日本酒・菓子)、特産品の箪笥と続き、川越市の工業は極めて出遅れたものであった。 昭和に入り東洋護膜化学川越工場、日清紡績川越工場、新報国製鉄川越工場、帝国火工品製品川越工場が操業を開始した。 戦後も昭和40年代までは繊維・食料品・木材の軽工業が中心であったが、1970年代から比率を減らし、1985年には15%まで低下。2018年時点ではさらに低下している。 代わって化学工業や業務用機械器具の比率が増え、1985年には精密機械が最も多く33.9%、金属系の15.9%となり、2018年には化学工業が最も多く32.9%、次いで業務用機械器具の17.8%となっている。
※この「工業都市として」の解説は、「川越市の歴史」の解説の一部です。
「工業都市として」を含む「川越市の歴史」の記事については、「川越市の歴史」の概要を参照ください。
- 工業都市としてのページへのリンク