甄嬛派とは? わかりやすく解説

甄嬛派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:25 UTC 版)

宮廷の諍い女」の記事における「甄嬛派」の解説

端妃(斉月賓) 演 - 宜娟 居住宮殿 - 延慶殿 端妃→皇貴妃→皇貴太妃 子女:なし。 養子温宜公主実母は曹貴人最古参妃で、長年妃の虐待を受けつつ、我慢したくないことから甄嬛派に加入妃に自分の子供を堕胎させられる飲まされたと勘違いされ迫害を受け続ける。 物語初期では常に病気療養中として表に出てこない。妃への復讐に純元皇后似た甄嬛を利用し、かつ擁護しながら妃を孤立させていく。妃の死後は甄嬛派の一人として数々シーン主人公擁護し窮地を救う。 妃が死後賜った諡号が「敦粛(「敦」とは「穏やか」という意味)」であったことから、「皮肉な諡号ね」と生前の彼女の気性激しさ振り返っていた。敬妃同様、子供がなかったため曹貴人死後温宜公主を自らの養子に。 陵容の懐妊後、敬妃や他の妃嬪と共に昇格し側室第一位の皇貴妃昇格する直後、陵容の流産不審抱き調べたところ、陵容の愛用している香に媚薬成分含まれていた事を突き止め皇帝が陵容の処罰検討している際、彼女がかつて熹貴妃送った怪我治す軟膏不審抱き皇帝の目の前で侍医調べさせたところ、強力な麝香成分含まれている事が発覚した。(熹貴妃は、最初流産後に火傷をした眉荘に軟膏貸し出そうとした際、軟膏不審思い調べた侍医から、強力な麝香含まれている事・それが原因流産したのではと聞かされていた。しかし皇后・陵容に痛手与え機会狙っており、敢えてこの時まで知らないふりをしていた) 皇帝が病に倒れた直後連日看病していた。 皇帝死後皇貴太妃になるが、再び病がちになり温宜公主看病されている事が敬貴太妃から明かされた。 敬嬪(馮若昭) 演 - 楊鈁涵 居住宮殿 - 咸福宮 敬嬪→敬妃→敬貴妃→敬貴太妃 子女:なし。 養子朧月公主実母は甄嬛) 臆病者だが、娘のためなんでも出来る。 温厚慎ましやかだがの強い女性皇帝一目置いている。子供がなかったため、甄嬛が出家した際にその女児(朧月公主)を預かり実の子のように育てる。甄嬛が宮廷復帰後、朧月がなつき離れないこともあり情が移り皇后策略で甄嬛と仲たがいさせられそうになるその後、熹妃に「妃が突出しないよう均衡を保つため妃の位を賜っていた。皇帝からの寵愛を受ける事も無く淋しかったが、朧月がいたおかげで幸せだった」と寵愛されなかった淋しい日々朧月への愛情涙ながらに訴えた窮地脱し更に寵愛得た甄嬛により、罪を許され上で公主成人するまで教育依頼され、甄嬛への忠誠を誓う。以後は甄嬛の片腕として貴妃封じられ共に後宮管理任され敵対する皇后失脚追いやる手助けを行う。 欣貴人 演 - 美汐 居住宮殿 - 儲秀宮常在→欣貴人→欣嬪→欣太妃 子女:娘があるらしい。(沈貴人セリフ出てくる)(流産1回) もともと中立派だが、祺貴人虐め受けた後、甄嬛と同盟を組む。 甄嬛入宮時点で、皇帝からの寵愛はあるが流産直後設定。甄嬛入宮後は中後半期まで出番少ないが、後宮にあって珍しく率直な人物として描かれる妃が曹貴人からこれまでの悪事暴露され捨てセリフ吐いて景仁宮から出て行った後に「長年のさばってくれたものね」と憤っていた。 出家前冷遇されていた時期にも、甄嬛と挨拶を交わす等、立場態度変えない人柄である。 甄嬛回宮後、甄嬛に横暴訴えて助力求め、甄嬛は情報整理後に欣貴人味方することを決める。以後、甄嬛派の一人として甄嬛を支えて行く。甄嬛との策略病気自称していた祺嬪が宮女太監たちに暴力をふるう現場皇帝連れていき暴力目の当たりにした皇帝により祺嬪は降格入れ替わりに儲秀宮主位となり管理任されるになった実家通じ安嬪父親の不正を皇帝訴えにあたっても、そのタイミングを甄嬛に相談していた。 最終回には宮中余生を送る姿を見せる。 寧貴人瀾依) 演 - レイザ 居住宮殿 - 春禧殿 百駿園馴馬女答応→寧貴人→寧嬪→自害 子女:なし。(斉妃から届けられた、汁物飲んだため妊娠できない体に。) 果郡王片思い故、果郡王愛される甄嬛さえも助ける。 元は円明園の馬馴らしで、幼少の頃命を救ってくれた果郡王のことを一途に慕っている。 縛られる事を嫌う自由きまま性格であり、うわべだけの付き合いを嫌うために礼儀知らず映り、他の妃嬪たちから煙たがられている。 自身の宮では、山ほど飼育している。 雍正帝見初められ後宮入りするも、自分意志を全く無視して後宮入りさせた皇帝嫌っており、笑顔見せない。そのため、皇帝からは「傲慢冷淡と言われていた。夜伽の際は自ら避妊薬飲んで妊娠しないようにしていた。斉妃から届けられ汁物を、怪しいと知りながらあえて飲んで妊娠できないになった中秋の宴の際、中座した貴妃と果郡王やりとり立ち聞きしていて、嫉妬のあまり甄嬛を殺害しようとするが、甄嬛の腕に果郡王から贈られ貴重な珊瑚腕輪発見、果郡王が熹貴妃真の愛をささげている事を悟りその場から引き下がる。 「後宮裁判」の際、窮地に立たされた熹貴妃を救うため、玉嬈たちを手助けした終盤、夏刈(後述)が第六皇子血液採取しているところを目撃慌てて第六皇子公主保護し貴妃報告双子が果郡王忘れ形見である事を知り、驚くと共に貴妃への協力を誓う。 果郡王第一に考えており、果郡王毒殺を甄嬛に命じた皇帝殺害するため毒薬飲ませ殺し新帝即位後。自らも自害する。 淳常在(方淳意) 演 - 譚松韻 居住宮殿 - 碎玉軒 淳常在→淳貴人死後から追封) 甄嬛の親友無邪気に過ぎるため、妃に殺される14歳で甄嬛とともに入宮。甄嬛と同じ宮殿住み、甄嬛を姉のように慕う。 17歳迎えた冬。ついに皇帝と侍寝した。 甘いものが好きで天真爛漫。昇位を控えていたが、妃と年羹堯部下との間の賄賂の話を聞いてしまい、周寧海により溺死させられる没後仕えていた宮女が「泳ぎ得意な小主が、溺死するずがない」と甄嬛に訴えた

※この「甄嬛派」の解説は、「宮廷の諍い女」の解説の一部です。
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