東南アジア島嶼説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:54 UTC 版)
マレー半島を参照している最も強力で最も早い手がかりはクラウディウス・プトレマイオスの『地理学』で、そこでは黄金半島と呼ばれ、東南アジア内部に位置していることが明らかである。 スヴァルナブーミ(「金の土地」)という語は、ビルマ低地とマレー半島を含む東南アジア半島を指すと一般に考えられている。ただし、別の金と関係する地名スヴァルナドヴィーパ(Suvarṇadvīpa、「dvīpa」は半島または島のいずれかを指す場合があるため、金島または金半島を意味する)があり、インドネシア列島、特にスマトラに対応するかもしれない。どちらの語も、おそらくスマトラやジャワを中心とした、現在のインドネシアとマレーシアの沿岸または島の強力な王国を指すかもしれない。これは、バリマ山脈、スマトラ島、ボルネオ島の内陸のミナンカバウ高地で伝統的に知られている金産地に対応している。『サマラーイッチャ・カハー』という8世紀のインドの文献は、スヴァルナドヴィーパへの航海と、黄金に豊む砂からレンガを作り、「dharana」という名前を刻んでから焼くことについて説明している。これらは東南アジア島嶼部の西部、特にスマトラ、マレー半島、ボルネオ、ジャワの方向を示している。 マラッカの狭い海峡の戦略的な位置から利益を得て、当時のインドを巡礼する中国人による曖昧な記述にもとづいて、島嶼理論は実際に金を産出する以外に海洋貿易のハブとして王国が力と富を持ち、したがって「金の土地」と呼ばれた可能性も主張した。中国とインドの間の海上貿易の中心はシュリーヴィジャヤ王国だった。しかしながら、漢字による表記の制約により、漢籍の歴史的情報源の解釈は、漢字とその音と古代東南アジア文明の既知の地名との対応にもとづく。ヘンドリック・ケルン(英語版)は、スマトラ島が古代ヒンドゥー教の文献で言及されているスヴァルナドヴィーパであり、『エリュトゥラー海案内記』およびアウィエニウスの言及するクリューセー島だと結論付けた。 初期の旅行記録の解釈は必ずしも容易ではない。860年と873年の中国へのジャワ大使は、ジャワを金に富んでいると述べているが、実際には金を埋蔵していない。ジャワ人は、おそらく隣接するスマトラ、マレー半島、またはボルネオから金を輸入しなければならなかっただろう。それらの土地で金は19世紀になっても採掘されていたし、古代の採掘現場のある土地でもある。ジャワに自身は金を埋蔵していなかったが、この文書では金細工師の存在について頻繁に言及しており、ウォノボヨの財宝 (Wonoboyo hoard) などの考古学的証拠から、この文化が大量の金属の輸入に依存して洗練された金の加工技術を発達させたことは明らかである。 1286年のパダン・ロコ碑文は、不空羂索観音像がジャンビ州の川であるバタン・ハリ川上流にあるダルマスラヤ (Dharmasraya) に運ばれたことを記述し、ブミ・ジャヴァ(ジャワ)からスヴァルナブーミ(スマトラ)へ運ばれ、ジャワ王クルタナガラの命令によって建てられたことを記している。碑文はスマトラがスヴァルナブーミであることを明確に示している。 フィリピンではスマトラよりも金が豊富であったという新しい証拠が実際にある[要出典]。スペインの年代記者は、ブトゥアンに足を踏み入れたとき、金が非常に豊富で、家でさえ金で飾られていたと述べている。「クルミや卵の大きさの金の塊は、我々の船に来たその王の島では土をふるいにかけることによって発見される。その王自身が言うところによれば、その王の皿はすべて金でできており、家の一部も金でできている。(中略)彼は頭に絹の覆いをしており、耳には大きな金の耳飾りが2つ付いていた。(中略)彼の側には短剣があり、その柄は少し長く、すべて金でできていて、彫刻が施された木の鞘があった。彼はすべての歯に3つの金の斑点があり、彼の歯は金で縛られているように見えた。」[要出典]。マゼランの航海中にブトゥアンのラージャ・シアグについてアントニオ・ピガフェッタが書いたところも同様である。ラージャ・シアグは、セブのラージャであるラージャ・フマボンの従兄弟でもあり、したがって2つのインド化された王国がヒンドゥーのクタイと同盟してマギンダナオとスルのイスラム教徒のスルタンに対抗したことを示唆している[要出典]。 ブトゥアンは非常に宝物が豊富であり、博物館の学芸員であるフロリーナ・H・カピストラーノ=ベイカーは、有名な西洋の海洋王国シュリーヴィジャヤよりもさらに豊かだったと述べている。「ブトゥアンで回収された金の財宝の驚くべき量と印象的な品質は、その繁栄した港の開拓が初期の東南アジア貿易で最近までほとんど認識されてこなかった役割を果たしたことを示唆している。驚くべきことに、ブトゥアンで発見された金の量は、よりよく知られているシュリーヴィジャヤ王国が位置していたと言われるスマトラで発見された金をはるかに上回っている。」しかし、ブトゥアンの金のほとんどは侵略者によって略奪されてしまった。
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