シュリービジャヤ【(梵)Śrī Vijaya】
シュリーヴィジャヤ
シュリーヴィジャヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 03:05 UTC 版)
ヴィジャヤ(サンスクリット語: विजय, ラテン文字転写: Vijaya, 生年不詳 - 1007年?)は、チャンパ王国(占城国)第8王朝の第2代国王(在位:997年? - 1007年?)。『宋史』では楊普倶毗茶逸施離(ベトナム語: Dương Phổ Câu Tỳ Trà Dật Thi Ly)および楊普倶毗茶室離(ベトナム語: Dương Phổ Câu Tỳ Trà Thất Ly)、『宋会要輯稿』では楊甫恭毗施離(ベトナム語: Dương Phủ Cung Tỳ Thi Ly)とそれぞれ記される。
- ^ a b c d Maspero 1933, p. 59
- ^ a b Cœdès 1968, p. 125
- ^ Lockhart & Phương 2011, p. 147
- ^ 桃木 1992, p. 467
- ^ Lockhart & Phương 2011, p. 148
- ^ 桜井由躬雄「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、70頁。
- 1 シュリーヴィジャヤとは
- 2 シュリーヴィジャヤの概要
シュリーヴィジャヤ
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詳細は「シュリーヴィジャヤ王国」を参照 タイ南部は、7世紀頃に成立したシュリーヴィジャヤ(室利仏逝)の影響下にあった。シュリーヴィジャヤは、交易の要衝であるマラッカ海峡周辺の多くの港市国家を支配し、タイ南部のチャイヤーは、海上交易を支配する10世紀からのシュリーヴィジャヤ(「三仏斉」)の都の1つであったとされる。また、ナコーンシータンマラート(リゴール)の775年の碑文により、8世紀後半にはジャワに興ったシャイレーンドラ朝に属するようになったことが知られる。
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