王朝の起源
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王朝の起源については、パルティア説、北インド説、土着王朝説があるがいずれとも決定しがたい。王朝初期の歴史については、サータヴァーハナ朝衰退後に、3個のプラークリット刻文やサンスクリット刻文など16枚の銅板の銘文によって知られる。しかし、これらの刻文の内容は矛盾が多いため、正確な年代や世系、中心地については研究者の間で意見が一致しない。例えば4世紀初頭から6世紀初頭にいたる刻文がすべてアーンドラ地方に関係するものであるにもかかわらず、王の詔勅の発行地が「カーンチー」となっており、通常はトンダイナードゥ(別名トンダイマンダラム)地方の「カーンチー」と考えられるため、アーンドラ地方から遠く離れている。そのため、刻文の「カーンチー」は、アーンドラ地方の地名ではないかと考える研究者もいる。
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王朝の起源
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モノモタパ王国の始まりは15世紀前半にさかのぼる 。ジンバブエ王国に従属するショナ人のカランガの貴族が放牧地や金鉱を求めて北に進み、彼らはやがてモノモタパ王国の支配者となったと考えられている。口承では、ムトタという名前の王子が王朝の始祖だと伝えられている。ムトタの後継者であるマトペは、建国されたばかりの王国をインド洋沿岸に至る地域の大部分を支配する国家に拡張した。マトペの軍隊はマニカ王国、沿岸部のキテベ王国とマダンダ王国を制圧したと言われている。 ポルトガル人によって採取されたムトタとマトペによるモノモタパ王国の創始を述べた口承の正確性は疑問視されている。しかし、王朝の創始者がアフリカ大陸の南から北に勢力を拡大する伝説は、出土品の分布といった考古学的史料とも矛盾せず、先に存在したジンバブエ王国の「石の家」建築文化も南から北に拡大したことが指摘されている。 ポルトガル人がモザンビークの沿岸部に到達したときには、モノモタパ王国は南アフリカにおける最大のショナ人の国家に成長していた。1506年にポルトガル人書記ディオゴ・デ・アルカソヴァが作成した報告書には、モノモタパ王国の宮廷で起きた権力闘争のためにソファラへの金の流通が停滞していることが記されている。
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王朝の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 00:27 UTC 版)
中部ジャワに栄え、ボロブドゥール寺院を造営したことで知られるシャイレーンドラ朝は、はじめはジャワに、のちにはスマトラ島のシュリーヴィジャヤにも君臨して、やがてそれと合邦してシュリーヴィジャヤの名で繁栄をつづけた。漢文史料では、7世紀から9世紀まで断続的に朝貢している「訶陵国」がシャイレーンドラであろうとされる。また、シャイレーンドラは、その意味(「山の王家」)から、インドシナ半島の古代王国「扶南」のプノン(山)と関係があり、シャイレーンドラ・シュリーヴィジャヤ王国は何らかの意味で、扶南の後継者にあたるのではないかとする見方がある。 この王朝の成立経緯については、従来、シュリーヴィジャヤ王国が8世紀半ば以降にジャワ島中部に進出したという説と、ジャワに成立した王家でのちにシュリーヴィジャヤに君臨した王朝であるという説がある。人種的にも、モンゴロイドではないかという説もあれば、オーストラロイド系のマレー人とする見方もあり、近年では後者の見解が有力である。このように、シャイレーンドラ朝の起源については諸説あるが、中部ジャワ北岸のブカロナン周辺(プカロンガン地方)で見つかったムラユ語(古マレー語)の碑文は7世紀初めと推定され、そこに「セレーンドラ」王とその両親、妻の名前が列挙されており、彼を王朝の始祖とする説が有力である。 マレー半島中部のナコンシータマラート(タイ王国ムアンナコーンシータンマラート郡)で発見された、775年のサンスクリット語の碑文には、ヴィシュヌという名の「シャイレーンドラ王家のシュリーヴィジャヤ王」が3寺院を建立したと記されていることから、この時期、シュリーヴィジャヤ国がシャイレーンドラ王家に支配されるようになったということがうかがわれる。ただし、その経緯については詳細がよくわかっていない。
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