北インド
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北インド(英語:North India または Northern India、ヒンディー語:उत्तर भारत [ラテン文字転写:Uttar Bhārat]、ウルドゥー語: شمالی ھندوستان [ラテン文字転写:Shumālī Hindustān])は、インドの北半部を大まかに示す地理的概念である。ヒンドゥスターン(Hindustan)とも呼ばれる。文化圏として広く見る場合には現在のインドだけでなく、パキスタンやバングラデシュ、ネパールにもまたがる概念である(地図では黄緑色の部分[疑問点 ])。いっぽう同じインド領内でも南インドのほか、北東インドもあまり含まれない。
北インド
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「イスラーム教徒による宗教的迫害」の記事における「北インド」の解説
12世紀以降トルコ系遊牧民が北インドの移住を開始した結果、多くの仏教徒とヒンドゥー教徒の間で戦闘が行われた。そして1203年、北部インドの代表的大僧院ヴィクラマシーラをトルコ系イスラム教徒が襲撃。無抵抗の僧侶達に凄惨な虐殺を開始した。僧侶をはじめ女子供を構わず皆殺しにし、ヴィクラマシーラ僧院は壊滅。このイスラム教徒による仏教徒大虐殺のせいで仏教は大打撃を蒙り、インド国内では完全な少数派宗教と転落し、イスラム教徒の北部支配が強まる中で滅亡した。そして現在のヒンドゥー教優位のインドとなった[リンク切れ]。 だが、ムスリムが支配していたムガル帝国期までには概ね平和的な関係がムスリムと非ムスリムの間に結ばれ、3代皇帝アクバル以降ジズヤは廃止され一世紀程度はほぼ完全な信教の自由と平等が確立した。
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「北インド」の例文・使い方・用例・文例
- 16世紀の北インドの大部分で、ムガール人は、イスラム化した
- 北インドおよびパキスタンで使用される粘土のオーブン
- 導師ナーナクによって16世紀に北インドで創立され、ヒンズー教とイスラム教の要素を結合している一神教信者の宗教の教義
- 北インドの優位なヒンズー軍のカーストの一員
- 大きな淡いまたは深いライラックブルーの花をつける北インドの有名なラン
- 長方形から楕円形の葉と、淡い薄紫または白色の悪臭を放つ花を有する北インドの丈夫な直立した低木
- 檀特山という,北インドの山
- ラージプート族という北インドの種族
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