東亜国内航空から日本エアシステムまで
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「日本エアシステム」の記事における「東亜国内航空から日本エアシステムまで」の解説
日本国内航空・東亜航空時代はそれぞれが多種多様な機材を揃えていたが、両社とも末期には保有機の統一化が進み、1971年の東亜国内航空発足時は旧東亜航空から移管した若干数のデ・ハビランドDH.114・タウロンを除いて保有機の大半がYS-11となり、この後1年は2機種のみでの運航となった。 東亜国内航空初のジェット機運航は、日本国内航空時代に日本航空にリースしていたボーイング727の返却を受け、1972年8月に羽田 - 大分線に投入した時だった。しかし、同社のその後のジェット化推進に際しては、旅客定員がほぼ同数で経済性の高いダグラスDC-9が選定されたため、同社ジェット化の先陣を果たしながらもボーイング727の運航は1年半余りの短期間に終わった。 日本国内航空時代に日本航空にリースしていたボーイング727は2機だが、同じくリースしていたコンベア880が訓練中の事故で喪失したため、その補償としてリース返却時に日本航空からボーイング727が1機譲渡されている。ハイジャック事件で知られた「よど号」 (JA8315) も日本国内航空からのリース機のうちの1機で(日本国内航空時代の愛称は「羽衣号」)、返却後は「たかちほ」の名で運航された。 その後は徐々にダグラスDC-9シリーズの保有を増やすとともに、機材の大型化を図りエアバスA300の導入を進めたほか、1980年代以降は日本エアコミューターへのローカル線運航の移譲を進め、YS-11も日本エアコミューターなどの子会社へ移籍していった。 商号変更に伴い国際線進出をねらった日本エアシステムは国際線運用機材としてDC-10-30を発注するが、すでにメーカーが製造ライン閉鎖を決定していた(後継機MD-11製造開始のため)。このため、本来空中給油機・KC-10として製造されたがアメリカ空軍のキャンセルによって余剰となったために急遽旅客用に改造された機材を入手することになった。 日本航空との統合時、日本エアシステムが運航していた機種で特に目立つのはエアバスA300、ボーイング777、マクドネル・ダグラスMD-90などだった。またエアバス機を主力としていたため、日欧貿易においてヨーロッパからの大口輸入の象徴的存在とされていた。 エアバスA300-600Rは1998年に旅客型の生産が実質終了しているが、その後も日本エアシステム向けには2002年まで貨物機の合間を縫って生産されていた。同年受領したJA016Dは旅客型の最終号機で、2015年現在においては日本航空との経営統合後に受領した唯一のエアバスA300型機でもある。 ボーイング777導入に際しては、1990年に国内幹線向けにボーイング747-400の導入を決定、9機を発注したものの、財政難から1993年3月に導入延期を決め、機体のコストや運航上の経済性を重視しボーイング777へ発注を切り替えた、という経緯がある。なお、ボーイング747を発注したがキャンセルとなった理由は、航空憲法が廃止されて日本エアシステムに国際線の定期便運航が許可された時期が、丁度バブル経済の時期と重なっていた為、国際線用機材としてこの機材が計画されたが、湾岸戦争やバブル経済の崩壊に加え、成田国際空港の発着枠の問題などにより、導入が困難とされた為である。 日本国内航空・東亜国内航空・日本エアシステムが発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は89で、航空機の形式名は727-89、777-289の2機種のみとなる。 DC-9導入以前に日本国内航空はフランスのシュド・カラベルの導入を検討しており、調査団の派遣日程まで決められていたが突然中止になったという。
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