木造不動明王及二童子像とは? わかりやすく解説

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木造不動明王及二童子像

主名称: 木造不動明王及二童子像
指定番号 729
枝番 00
指定年月日 1926.08.30(大正15.08.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 3躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王及二童子像

主名称: 木造不動明王及二童子像
指定番号 2055
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 3躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造不動明王及二童子像

主名称: 木造不動明王及二童子像
指定番号 2099
枝番 00
指定年月日 1915.03.26(大正4.03.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 3躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造不動明王及二童子像(本堂安置)

主名称: 木造不動明王及二童子像(本堂安置
指定番号 3170
枝番 00
指定年月日 1964.05.26(昭和39.05.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 3躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  あまりにも有名な成田山本尊像高不動一三二・七、一童子矜羯羅こんがら一一六・五、制多迦【せいたか六一・四センチメートルである。これまで秘仏として一般の眼にふれなかったが、このほど寺の英断調査終えた鎌倉後期不動像の名品一つで、中尊ひきしまった面相均整のとれた躰部に充実した力がこもる。二童子同時代のものだが、制多迦は作風がちがい、あるいは別作かもしれない

木造不動明王及二童子像(不動堂安置)

主名称: 木造不動明王及二童子像(不動堂安置
指定番号 3442
枝番 00
指定年月日 1994.06.28(平成6.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 中尊の像内納入木札光背暦応二年・康永元年修理銘がある
員数 3躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  高幡不動の名で知られる金剛寺不動堂本尊として安置される三尊像で、丈六不動明王坐像中尊として、半丈六に近い二童子立像左右に配している。
 不動明王像カヤ材の寄木造よせぎづくり】、頭体幹部を通して前後左右四材から彫出し内刳うちぐり】のうえ割首【わりくび】とする構造になる。光背刻銘や像内に納入された銘により、建武二年(一三三五)に大風による不動堂倒壊伴って破損したため、康永元年一三四二)に脇侍とともに修理施されたことが知られる現状では面相部や上体のほとんどにこのときの所為とみられる大幅な直しの手加わっているが、髪の一部右腕両足部などには製作当初堅実な造形認められる二童子はいずれホウとみられる材の寄木造で、共に頭体幹部を通して左右二材に背面材(後頭部を含む)を寄せた三材から造り内刳りを施す。中尊像に較べて修理小規模であったとみられ、その諧謔的面貌姿態平安後期特色明瞭にうかがえる。その作風材質からみてこの地での造像とみられるが、近世地誌類に『平治物語』や『吾妻鏡』登場するこの地の豪族平山季重【ひらやますえしげ】が本寺再興したことを記すものがあり、本三尊像の造立こうした在地武士が関わった可能性があろう。他に類例のない平安時代丈六不動三尊像として貴重な作例いえよう。なお中尊像の像内に納められていたおびただしい印仏類(書状の裏用いて押印)が今回古文書として重要文化財指定受けている。
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