政界への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 05:29 UTC 版)
「トヨタトータルクリーンシステム」の記事における「政界への対応」の解説
トヨタは当時のトヨタ自動車社長である豊田英二を陣頭に、自動車排ガス規制を所管する環境庁及び中央公害対策審議会への対応にも腐心した。 1971年(昭和46年)8月、中央公害対策審議会は1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)の二段階でマスキー法を導入する事を決定、1973年(昭和48年)5月より国産メーカー9社に対して聴聞会を実施した。この席上、トヨタは「技術面・生産面での課題はクリアしつつあるが、実用化のための試験時間が不十分で、品質保証上の問題も未解決である事を考慮して、排ガスの規制強化は段階的に実施してほしい」旨答申し、環境庁はこれらの答申を踏まえて昭和50年及び51年規制の概要を制定した。 昭和50年排出ガス規制成立を目前に控えた1974年(昭和49年)6月の環境庁聴聞会では、「様々な方式を研究開発しているが、現時点で耐久性を十分確保したまま51年規制をクリアできる目処は立っておらず、実験室レベルでの成果も生産に反映するには尚数年の時間を要する」旨答申し、この後数年間は昭和50年規制値を維持した上で、再度妥当な規制値を再検討するように要望した。これは事実上の開発失敗宣言のようなものであったが、同年9月の衆議院公害対策並びに環境保全特別委員会での参考人招致では、豊田英二自らが自社及び国内各社の開発状況を答弁した上で、51年規制の正規規制値適用を2年間先延ばしとする事で開発期間の猶予を求めた。 中央公害対策審議会はこうした答申を踏まえて、昭和51年排出ガス規制の再検討を行い、マスキー法1976年正規規制値である「1 km走行当たり0.25 gのNOx許容限度値」の正規適用を昭和53年排出ガス規制へと見送る事とし、新たに暫定規制値として「NOxの排出平均量を等価慣性重量1,000 kg以下の自動車については0.6 g、1,000 kgを超えるものについては0.85 g」としたものを昭和51年排出ガス規制として制定した。これは暫定ながらもかなり厳しい規制値であり、米国でのマスキー法の適用が延期となった事で、この時点でも日本の排ガス規制値は世界で最も厳しいものとなっていた。 こうして日本におけるマスキー法の完全達成は2年後の1978年(昭和53年)まで一時延期となり、その間にトヨタを始めとする国内9社は技術開発に注力、トヨタは改良されたTTC-C方式及び新開発のTTC-L方式での51年規制適合に漕ぎ着けた。
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