指揮権発動が疑われたり、可能性が考慮された例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:39 UTC 版)
「指揮権 (法務大臣)」の記事における「指揮権発動が疑われたり、可能性が考慮された例」の解説
指揮権が発動したと公に認識されているのは上記の1例のみであるが、指揮権発動が疑われたり、可能性が考慮された例はいくつか存在した。 1965年、高橋等法務大臣は池田の側近である黒金泰美の実印が詐欺で使用された吹原産業事件で森脇将光が逮捕された際に記者会見で「政界とは関係がない」とコメントした(当時の検事総長は馬場義続)。東京地検は森脇起訴後と捜査終結時に自民党総裁選との関係を否定するコメントをした。 1976年、稲葉修法務大臣はロッキード事件について新聞のインタビューで積極捜査を後押しするコメントをした(当時の検事総長は布施健)。ロッキード事件は、検察自身が法務大臣の発言の前から事件解明に積極的だったため検察の意思と対立するものではないものの、強制捜査を積極的に促して「逆指揮権」を発動したと呼ばれた。 1983年、秦野章法務大臣は田中角栄元首相がロッキード事件で一審で無罪判決となった場合は検察に控訴をさせないために指揮権を発動させて無罪確定にする意思を持っていた(当時の検事総長は安原美穗)。実際には田中は一審有罪だったため、指揮権発動はされなかった。 1999年、中村正三郎法務大臣は自身がオーナーを務める企業と民事訴訟で争っている企業への刑事捜査を法務当局に促した(当時の検事総長は北島敬介)。法務省幹部から「指揮権発動に該当する恐れがある」と諌められたために撤回したが、後にこのことが露見したため、私的な理由で指揮権を発動しようとしたとして批判が集まった。 2007年、長勢甚遠法務大臣は在任中に緑資源機構談合事件で注目されながら自殺した松岡利勝について、東京地検が「松岡農相御本人や関係者取り調べた事実はないし、予定もなかった」というコメントが行われ、後に法務省から前述の報告を聞いたと答えた。しかし、松岡の疑惑に目を向ける者の中には、長勢が指揮権を発動して検察にそのようなコメントをさせたと疑う者もいた(当時の検事総長は但木敬一)。 2009年、森英介法務大臣の在任中に西松建設事件で民主党幹事長だった小沢一郎の秘書の大久保隆規が政治資金規正法違反で逮捕と起訴された(当時の検事総長は樋渡利秋)。衆院選間近であることなどから与党自民党に有利にするために野党民主党幹部への強制捜査を促す逆指揮権を発動したとする主張が主に民主党支持者から出たが、森は指揮権発動を否定した。民主党の第三者委員会は「強制捜査を中止する指揮権発動もありえた」とする最終報告書をまとめた。 2010年、千葉景子法務大臣は就任当初から従来の大臣とは異なり「法務大臣が一般的に指揮権を持っているということは認識をしています」と指揮権発動もありうることを示唆していた。2009年に小沢一郎秘書が起訴された際には民主党の第三者委員会が「指揮権発動による捜査中止もありえた」と指揮権発動に肯定的な報告書をまとめたことも指揮権発動の容易さに拍車をかけていた。2010年に小沢一郎の資金管理団体の土地購入に関する陸山会事件で与党民主党幹事長の小沢一郎に対して強制捜査が行われ、石川知裕衆議院議員を含む元秘書3人が捜査対象にはなった時は指揮権発動の可能性が指摘されたが、最終的に元秘書3人は逮捕、起訴され、指揮権発動は行われなかった(当時の検事総長は樋渡利秋)。 2010年、柳田稔法務大臣の在任中に尖閣諸島中国漁船衝突事件で那覇地検が公務執行妨害罪で身柄拘束中の船長を処分保留で釈放された(当時の検事総長は大林宏)。那覇地検の釈放理由に「今後の日中関係を考慮する」とあったため、政治判断による指揮権発動が疑われたが、柳田は釈放は検察の判断であり報告を受けた時に検察の判断を尊重したとし、指揮権発動を否定した。しかしそれから3年後の2013年9月19日、事件当時の内閣官房長官であった仙谷由人は時事通信社のインタビューに答え、自身が法務事務次官に対して船長釈放の要望を実質上は出していたこと、釈放決定前に外務省幹部を那覇地検へ派遣したこと、またそれらに関しては、2010年11月に日本での開催が予定されていたAPEC首脳会議に際し中国首脳の来日拒否を恐れた事件当時の内閣総理大臣・菅直人の「解決を急げ」との指示があったことを明言し、政治関与があったことを明らかにした。更に2020年9月、衝突事件直後に国土交通大臣から外務大臣に補職替えとなっていた前原誠司は産経新聞の取材に答え、2010年9月21日に菅直人自身が首相公邸で前原に対し強い口調で「釈放しろ」と指示したこと、そして前原がその旨を仙谷由人に伝えたことを明らかにした。 2012年、小川敏夫法務大臣が、陸山会事件に関連した虚偽の捜査報告書作成問題に関して、検事の起訴を前提とした指揮権の発動を野田佳彦首相に諮ったが、了承が得られなかったことを退任時に明かした(当時の検事総長は笠間治雄)。なお、この報告書を作成した検事は不起訴となった。
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