ロッキード事件とは? わかりやすく解説

ロッキード事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 13:18 UTC 版)

ロッキード事件(ロッキードじけん、英語: Lockheed bribery scandals)は、アメリカ航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件である。


注釈

  1. ^ a b 昭和55年法律30号による改正前のもの
  2. ^ a b c 昭和47年法律105号による改正前のもの
  3. ^ a b c 昭和48年法律113号による改正前のもの
  4. ^ a b 昭和48年運輸省令59号による改正前のもの
  5. ^ 委員長フランク・チャーチの名から「チャーチ委員会」。
  6. ^ そのキャンセルした全日空向けDC-10のうちの1機(量産29号機 cn 46704/29)が格安でトルコ航空に売却されたが、貨物ドアの重大な欠陥が是正されていなかったことから、1974年トルコ航空DC-10パリ墜落事故が発生してしまった。
  7. ^ 全日空への工作費は約30億円だったと言われる。
  8. ^ NHKスペシャルの大型シリーズ。ロッキード事件を未解明の部分や謎を残した事件として定義し、事件発覚から40年後の2016年に、再現ドラマとドキュメンタリーで事件の顛末を描いた[3]
  9. ^ 1949年(昭和24年)、日本海商事の代表取締役に就任した。日本海商事は朝鮮戦争の頃、東京レアメタルの輸送部門を請け負っていた。東京レアメタルは、東條英機ら7名の死刑執行(1948年12月23日)一週間前に児玉誉士夫が巣鴨プリズンから出所してすぐ設立した企業である[4]
    東京レアメタルは銀座にできた。設立目的はSCAPのためにタングステンとモリブデンを調達することだった。後に大元産業と改称された[5]
  10. ^ 本名の「シゲトモ」をアメリカ流に縮めて「シグ」とした。ロサンゼルス生まれ。大戦中は陸軍。戦後はGHQで通訳となった。その後、港区でスクラップ業ユナイテッド・スチール社の経営者となる。ベトナム戦争中、サイゴンの入札業者に指定されて暴利を得た。落札したスクラップは丸紅その他へ売り払った。問題のペーパー会社はケイマン諸島のID社[6]
  11. ^ ユタ州ソルトレーク市生まれの日系二世。両親は広島県出身の移民。戦前に帰国して早大国際学院に学ぶ。1939年(昭和14年)に満洲に渡り、終戦まで満洲電業の国際放送を担当した。
    1945年(昭和20年)に引揚げるとすぐに、占領軍の通訳となり巣鴨プリズンに勤務。ここで児玉を担当した。1948年(昭和23年)から東京銀座で出版社「ロマンス社」を経営、倒産後は湯浅電池会社の海外進出業務や同社の通訳などを手伝っていたが、1958年(昭和33年)外国通信社の仲間6人と「ジャパンPR」を設立した。この時、ロッキードの日本国内PR部門、主として英文ニュース速報を新聞各社に流したり、日本の新聞を翻訳してロッキード社に送る仕事を請け負う。
    1955年(昭和30年)ごろには児玉の自伝『われ敗れたり』を英文に翻訳出版し、児玉とは家族ぐるみでつきあっていた[7]
  12. ^ 1953年(昭和28年)、叔父で川崎航空機社長だった砂野仁の紹介でロッキード本社に入社[8]
  13. ^ 死因は肝硬変とされるが[12]中山正暉は「病院で誰もいない時に酸素吸入器がはずされて死んでいた」と語っている[13]
  14. ^ 埼玉県比企郡都幾川村(現・ときがわ町)の林道で排ガス自殺しているところを発見された[14]
  15. ^ 5日後に保釈保証金2億円を納付し再度保釈。
  16. ^ 2016年7月死去。当番組向けの収録が最後のインタビューとなった。
  17. ^ PX-Lの国内開発計画。
  18. ^ その後の全日空相談役に。
  19. ^ 日米犯罪人引渡し条約の発効は1980年、国際贈賄防止条約の発効は更に遅れて1997年
  20. ^ 全日空ルートの裁判では検察側がエリオットの嘱託証人尋問調書を立証している間に、弁護側が申請によってエリオットから宣誓供述書を取って実質的な反対尋問を行われた。
  21. ^ 中曽根康弘がもみ消しを依頼していた疑惑がある。
  22. ^ 「ピーナツ100個(=1億円)」と書かれた暗号領収書が存在した。
  23. ^ これはアメリカにおいても有名になった。同時期に製作されたアニメ『トムとジェリー』において「どこかの国の政治家と同じでピーナツが大好き」という台詞がある。
  24. ^ こちら葛飾区亀有公園前派出所』154巻「おとり捜査協奏曲の巻」には金額を言えないため「1ピーナツ(=1億円)出します!」というセリフがある。
  25. ^ ファミコンソフトの『麻雀倶楽部永田町・総裁戦』では、角栄をモデルにした「かくべ」がオープニングでこの言葉をしゃべっている。
  26. ^ F-104を売り込んでいた。

出典

  1. ^ a b ANA 1983, p. 337.
  2. ^ ANA 1983, p. 339; 本所次郎 2002b, p. 174.
  3. ^ 「ロッキード献金事件 -第二次証人喚問-」 - 中日ニュース1155号(動画)・中日映画社
  4. ^ 竹森 1975, pp. 70–71
  5. ^ Davis & Roberts 1996, p. 100
  6. ^ 竹森 1975, pp. 135–136
  7. ^ 竹森 1975, pp. 134–13
  8. ^ 竹森 1975, p. 13
  9. ^ a b "ロッキード事件". NHKスペシャル 未解決事件. NHK総合. 2016年9月17日閲覧
  10. ^ 奥山俊宏 (2010年3月7日). “「自民離脱、信問う」示唆:三木元首相が米政府に密使:ロッキード事件”. 朝日新聞: p. 38面 
  11. ^ 山本祐司 (2006年9月). “ロッキード事件:田中元首相逮捕”. 日本記者クラブ. 2019年8月5日閲覧。
  12. ^ 春名幹男ロッキード事件とインテリジェンス
  13. ^ 『月刊官界』1981年6月号(行研、1981年)p.111
  14. ^ 『埼玉年鑑 昭和53年版 本編』(埼玉新聞社、1977年)p.34
  15. ^ 立花隆 1982b, p. 336.
  16. ^ ANA 2004, p. 72.
  17. ^ 文明子, p. [要ページ番号]
  18. ^ 中曽根 1996, pp. 271, 472
  19. ^ 石原, p. 207
  20. ^ 倉山 2012, p. [要ページ番号]
  21. ^ 高山, p. [要ページ番号]
  22. ^ 田原 & 田中 2007, p. [要ページ番号]
  23. ^ 田原総一朗. “vol.32 昭和51年 ロッキード事件(1-3) - 振り返る昭和”. 2013年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月10日閲覧。
  24. ^ 俵 2004, p. [要ページ番号]
  25. ^ 産経新聞 . (2006年7月27日) 
  26. ^ 航空機年鑑 1988, p. 112



ロッキード事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:12 UTC 版)

司法取引」の記事における「ロッキード事件」の解説

アメリカ合衆国在住の重要証人が、自己負罪拒否特権理由に、日本での証言拒否したのに対し日本検事総長事件当時布施健)が、刑事訴訟法248条に規定され起訴便宜主義に基づき起訴をしないことを約束し事実上免責与えてアメリカ合衆国の裁判官証人尋問嘱託して作成した嘱託証人尋問調書証拠能力」が争われた。下級裁判所では、日本の法秩序基本的理念手続構造反す重大な不許事由有するものでないとして嘱託証人尋問調書証拠能力認めたが、最高裁判所刑事免責に関する立法欠如理由に、嘱託証人尋問調書証拠能力否定した

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ロッキード事件

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小佐野賢治」の記事における「ロッキード事件」の解説

「ロッキード事件」も参照 1976年昭和51年2月16日、ロッキード事件に絡み衆議院予算委員会第1回証人として全日空若狭得治社長渡辺尚次副社長とともに出頭し証人喚問を受ける。ここで小佐野何度も口にしたとされる記憶にございません」は、この年流行語となった2019年には同名の映画制作された。正しくは「記憶はございません」「記憶がありません」。議事録にも記述がある)。同年9月30日東京地検捜査丸紅全日空リートから児玉ルートに移るタイミング順天堂大学医学部附属順天堂医院特別室入院病室名札は別名が記されていた。 国会での証言偽証罪議院証言法違反)に問われ1977年昭和52年)に起訴され1981年昭和56年)に懲役1年実刑判決判決言い渡し翌日には控訴)。 小佐野日本航空および全日空大株主となり航空業界へ進出狙っていたものの、全日空への新型機導入に絡んだ「ロッキード事件」の発覚により頓挫したといわれる係争中1985年昭和60年)に帝国ホテル会長職に就任犬丸一郎を、帝国ホテルメインバンクである第一勧業銀行反対押し切り社長昇格させる一方第一勧業銀行出身藤居寛副社長就任させた。

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ロッキード事件

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世界自然保護基金」の記事における「ロッキード事件」の解説

WWF設立メンバー一人であるオランダ王配ベルンハルトは、ロッキード事件においてロッキード社軍用機購入対す賄賂を、WWF資金として企てる用意があったことを明らかにしている。ロッキード事件の余波を受け、ベルンハルト1976年総裁辞任しているが、WWF資金システム構築した功労者としてWWF内部では現在でも高く評価されている。

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ロッキード事件

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児玉誉士夫」の記事における「ロッキード事件」の解説

ロッキード事件と児玉関わりは、しばしばロッキード社または日本政界という事件の帰着点ばかりが焦点化して報道出版される傾向がある。しかし、ロッキード社児玉秘密送金する窓口として、元OSS 員が社長だったディーク・ペレラ社を利用したという興味深い事実がある。ディークは外国為替貴金属取引特化した企業であるが、21世紀に数件の訴訟提起されている。その一方今日ヨーロッパでHSBCドイツ銀行がやはり外国為替貴金属取引をめぐり不祥事露呈している。

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