戦国時代~江戸時代初期の移封とは? わかりやすく解説

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戦国時代~江戸時代初期の移封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:39 UTC 版)

淡路国」の記事における「戦国時代~江戸時代初期の移封」の解説

細川尚春 - 淡路守護。三好之長により殺害洲本安宅氏安宅氏分家) - 安宅治興は三好長慶弟・冬康を養子迎え三好氏傘下に。 三好氏 - 織田信長によって滅亡。冬康の子信康織田氏支配下に。岩屋城 - 淡路国津名郡現在の兵庫県淡路市にあった日本の城文禄3年1594年廃城天正9年1581年)、羽柴秀吉淡路侵攻を受け岩屋城落城中国国分 - 羽柴秀吉毛利輝元同盟関係成立した天正11年1583年以降中国地方対す大名など諸領主への領土配分間島氏勝 - 赤松氏支族であった播磨国の旧福中城主天正11年1583年)、淡路岩屋城3000石の城主に。 仙石秀久 - 淡路国5万石で入府。(→天正13年1585年)、四国攻め軍功により讃岐高松城10万石へ加増転封加藤嘉明 - 天正14年1586年)、津名三原郡志知城(志智城)(兵庫県南あわじ市1万5,000石。 文禄3年1594年2月岩屋・群家内間島1700石が増封。天正15年1587年7月伊予正木愛媛県松前町)に加増転封脇坂安治 - 淡路洲本藩3万石。(→慶長14年1609年)、伊予大洲転封菅達長 - 淡路国国衆土豪)。志知釜口岩屋・須本。旧領安堵のち、伊予転封藤堂高虎 - 藤堂高虎伊予宇和島城8万石今治城12万石)の属領。(→伊勢津藩転封伊予越智郡2万石飛び地として高虎に残る) 池田輝政 - 慶長15年1610年)、播磨姫路藩主・池田輝政淡路一国加増淡路姫路藩(海向かい)の属領となる。 池田忠雄 - 池田輝政三男慶長18年1613年1月に輝政が死去淡路63千石分与され、再び洲本藩立藩元和元年1615年)、岡山藩主早世した兄・池田忠継の後を継いで忠雄岡山藩移ったため、洲本藩廃藩蜂須賀至鎮 - 大坂の陣軍功挙げ阿波藩明治以降徳島藩改称とともに加増大坂の陣慶長20年1615年))の報償として、阿波蜂須賀家岩屋を除く淡路7万石加増寛永3年1617年)に岩屋加増幕末まで家老稲田氏洲本城代として淡路国統治する

※この「戦国時代~江戸時代初期の移封」の解説は、「淡路国」の解説の一部です。
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