志太郡衙跡とは? わかりやすく解説

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志太郡衙跡

名称: 志太郡衙跡
ふりがな しだぐんがあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 藤枝市南駿河台
管理団体 藤枝市(昭56・114)
指定年月日 1980.10.22(昭和55.10.22)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-12-030[[志太郡衙跡]しだぐんがあと].txt: 本遺跡は、駿河湾西岸大井川形成する三角州の北縁を限る丘陵地一角にあり、丘陵によって東西南側囲まれ一つ谷地形の中に占地している。谷の規模は、谷口で幅約100メートル奥行150メートル規模をもつが、谷口部分は微高地形成し奥部低湿地となっている。
 遺構はこの谷口の微高地上に集中しており、掘立柱建物30のほか、井戸板塀道路などがみとめられる建物東西あるいは南北に棟の方位をそろえ、一見して官衙風に整然とした配置とっているが、これらは、柱穴重複関係や柱穴からの出土土器により、およそ8世紀前半から9世紀前半にかけて3期わたって造替くりかえされたものとみとめられる建物群の西半部には規模大き東西棟を中心として、井戸をもつ広場脇殿様の南北棟が展開し、本遺跡中枢部分構成しているものと推定される建物群東半部の東辺及び南辺は土塁施設あるいは板塀によって囲まれるが、ここには8世紀後半以降倉庫及び雑舎様の建物密集して建ち並び、また東南隅には柵で小区画をもうけ廂付建物配置している。南辺の板塀外側沿って幅4~6メートル道路がある。板塀西端に開く門を経て建物中枢部に通じたものと考えられ、礫がまばらに敷かれている。道路南側沼沢地ないし池となっており、道路南縁には護岸打ち込まれている。
 本遺跡からは、[[土師器]はじき]・須恵器緑釉陶器灰釉陶器・[[曲物]まげもの]・漆器木製農具人形斎串木簡などの多量遺物出土している。とりわけ注目されるのは、「志太」「志[[大](ママ)]領」「主帳」「志太厨」「郡」などと記した200点をこえる墨書土器存在であり、これらによって、本遺跡古代における駿河国志太郡衙にかかわる施設の跡であることは疑う余地がない。なお、本遺跡郡衙中でも政庁・館・厨などのいずれの機能果たしたかについては、周辺遺跡発掘調査含めて今後の研究またなけれならない
 本遺跡は、現在知り得た範囲においても、郡衙関係遺跡としてもっとも性格鮮明あり、かすぐれた遺構と遺物をもち、古代地方官衙の実態を知るうえではかりしれない意義有するのである
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志太郡衙跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 14:16 UTC 版)

志太郡衙跡(しだぐんがあと)は、静岡県藤枝市南駿河台にある古代駿河国志太郡郡家郡衙)の遺跡。別名を御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき)。国の史跡に指定されている。


  1. ^ a b 志太郡衙跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ 志太郡衙跡(古代史) & 2006年.
  3. ^ 文化財(藤枝市ホームページ)。


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