市街地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:11 UTC 版)
市街地域は、町制施行前の戸出、古戸出、中之宮の3村の領域からなる。 東町(ひがしまち) 町並みの東に位置することからこの名がついた。現在の1丁目 - 2丁目の一部。戸出駅などがある。 秋葉町(あきばちょう) 1949年(昭和24年)5月1日、町を大火が襲った。その後、1952年(昭和27年)、火防の神として知られる秋葉大権現を勧請し、町名を「東横町」から「秋葉町」に改めた。東町の北。北町の東に位置する。現在の2丁目の一部。 御蔵町(おくらまち) 加賀藩の戸出御蔵の東側に開かれた町。現在は当時の御蔵はない。東町の南。年配の人の中には、古い呼び名である「御蔵横町(おくらいよこちょう)」と呼ぶ人もいる。現在の2丁目の一部。 巴町(ともえまち) 町名の由来は「巴御前は大清水村の村娘だった」という戸出地区の民間伝承と関連するとする説もある。元禄時代より続けられている幌武者行列では巴町の子供が巴御前に扮して町をねり歩く。旧・国道156号の東側に位置する。東町から見て西、本町から見て東にある。現在の2丁目の一部。 寺町(てらまち) 戸出開町の祖である川合家の菩提寺である永安寺があるためにこの名がついた。本町より移転された御旅屋門がある。ファミリープラザハニーがあった辺り。巴町の南。ハニー開店以前、バス停の名は「戸出ハニー前」ではなく「戸出寺町」であった。現在の2丁目の一部 - 3丁目の一部。 馬場町(ばんばまち) 千保川の番屋があったといわれておりその「番屋」が訛って「馬場」となったと考えられている。寺町の南。現在の2丁目の一部 - 3丁目の一部。馬場町、寺町の東側には当時に庄川の本流でもあった千保川が流れていた。そしてここには大きな船着場があった。また、この地に馬場があったためとする説もある。馬場町で代々馬を生産してきた澤田家では1863年(文久3年)に馬頭観音像を安置したものが現在にまで残っている。 北町(きたまち) 町並みの北に位置することからこの名がついた。巴町の北。JAの支店や会館などがある。現在の2丁目の一部 - 3丁目の一部。 本町(ほんまち) 町並みの中央に位置することからこの名がついた。「戸出の四つ角」から西側が本町となる。巴町の西。「戸出の四つ角」にある石田薬局 - 北陸銀行 - 戸出野神社参道までのところに、戸出開町の祖である川合家の屋敷及び加賀藩の御旅屋があった。現在の3丁目の一部。 新田町(しんでんまち) 新田才許(加賀藩より新田を開墾するよう命じられた役職)が新たに開墾した「新田嶋」という地名からとって「新田町」とした。本町の西。国道156号の東側。現在の3丁目の一部。 富久町(ふくまち) 新田町の南。戸出野神社の西側。年配の人の中には、古い呼び名である「南町(みなみちょう)」と呼ぶ人もいる。現在の3丁目の一部。 古中東町(ふるなかひがしまち) 「古中」という名称は昔の村名の頭文字に由来するものである。元々は、上使街道をはさみ、北は、旧・中之宮村、南は、旧・古戸出村であり、別々の自治組織があった。1948年(昭和23年)頃、自治上の不便を解消するためにこれを1つにして「古中」とした。さらに、古中の東に位置するのでこの町名となった。国道156号の西側。現在の4丁目の一部。 古中中町(ふるなかなかまち) 古中の中央に位置するのでこの町名となった。現在の4丁目の一部。 古中西町(ふるなかにしまち) 古中の西に位置するのでこの町名となった。現在の5丁目。
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市街地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)
市街地域は住居、商業、工業の三地域に大別され、特に住居地域は住居専用地域を設定して工場の設置を厳重に制限した。商業地域(卸売地域、小売地域、商館地域)は原則として路線式を採用した。工業地域(準重工業、軽工業)は、伊通河の水流と風向きを考慮して市街地東北部に指定された。特に重工業地域は東方の伊通河沿岸を区画整地し、煤煙と騒音が市域に及ばないように配慮された。農村地域は郊外公園或いは生産緑地として緑化を助長し、農耕、山林、牧場等の指定により、無秩序な市街化の防止に考慮されている。 国都建設計画事業区域に於ける建築活動は、「国都建設局建築指示条項」(国都建設局指示第1号)により規制され、建築物の構造、形態、工事執行手続きが定められた。これにより建築物の高さは全市域に亘って20m以下(塔部を除く)とされ、オフィスビルと大型商業建築物は、道路との境界から10 - 15m後退して建設するよう指導した。その後「国都の目抜通りに高低の揃わない建物が歯の抜けた櫛のように並ぶのは都市美観上からも国都の面目にかけても面白くない」ため、広場及び主要道路に美観地区(甲種・乙種・丙種・丁種・戊種及び特殊の6区分)を指定して、主要道路に面した建築物の軒高を規制した。この他に風致地区も指定されている。 人口密度は住居地域に於いて、一平方キロメートルに付き第一級4000人(宅地875m2)、第二級5000人(宅地770m2)、第三級10,000人(宅地440m2)、第四級12,000人(宅地330m2)とされ、商業地域の密度は12,000人とされた。新京特別市全体では一人当り占有面積が約180平方メートル(約55坪)とされた。
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