岩本隊長戦死
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「万朶隊」が出撃に備えて訓練を繰り返していた11月4日に、岩本からマニラの第4航空軍司令部に作戦の打ち合わせに来たいとの申し出があり、電話応対した第4航空軍参謀の佐藤勝雄少佐は、岩本らがまだフィリピンに来たばかりで状況をよく把握できていないと案じて、「いつも朝はグラマンが来ているから」「1時間ぐらいで来られる近いところだから、必ず車でこいよ」と、航空機で来るのは危険だから陸路で来るようにという指示を行い、岩本も「はい」と返事をしている。岩本が第4航空軍司令部に向かおうとした目的は、万朶隊を現地で取材していた報道班員の福湯によれば、出撃の日時の打ち合わせのために、岩本が自らの意志でマニラの第4航空軍司令部に向かったとされ、報道においては、参謀や福湯ら関係者の証言から「攻撃の日程等の連絡のため」マニラに向かったと報じられており、戦後の出版物でも「作戦連絡飛行」や「連絡」のため「岩本の意志で」マニラに向かったとする資料が多い。しかし、根拠は不明であるが、司令官の富永が、岩本らの日ごろの労を労うため、マニラの料亭「廣松」で歓待しようと考えて「11月7日にネグロス島から帰ってくるので申告(到着の挨拶)をするように」という命令をしてマニラに呼びつけたという主張もある。さらに、岩本ら万朶隊の隊員が「こんな危険な時期に呼び寄せるなんて航空戦を知らんよ」などと非難しながら渋々従ったなどという推測する者もいる。 11月5日、朝8時に岩本は第4航空軍司令部の忠告を聞くことも無く、将校全員となる4名を乗せると自ら特攻機仕様の「九九式双発軽爆撃機」を操縦して、兵舎のあるリパからマニラの第4航空軍司令部に向かった。岩本機は離陸後まもなく「F6Fヘルキャット」から攻撃を受けた。ニコルス飛行場でその様子を見ていた海軍の津田忠康少尉は敵の激しい空襲のなかで爆撃機単機で飛行していた岩本機を訝しみ「今頃、飛んでくるなんて、おかしな双軽だな」などと心配して見守っていたが、F6Fヘルキャットの銃撃を受けた岩本機は大きく姿勢を崩して、黒煙を噴き上げながらモンテルンパ付近の畑のなかに墜落した。墜落地付近はゲリラの勢力が強いため、第4航空軍は武装兵を入れた救援隊を編成し救助に向かったが、岩本、園田芳巳中尉、安藤浩中尉、川島孝中尉の操縦士士官は全員即死、唯一、通信士官の中川勝巳少尉が重体で収容されたがのちに死亡した。このとき、救援隊の1人であった第4航空軍衛生班の大元肇上等兵によれば、岩本らの遺体は現地の住民に物色されて、遺品は殆ど奪われていたという。 岩本らが指示を破って航空機で戦死したという報告を聞いた第4航空軍司令部は全員落胆し、高級参謀の松前未曽雄大佐は「あれほど自動車でこいと指示しておいたのに」とがっかりとした表情で話していたという。「万朶隊」は岩本以下の操縦士将校全員が出撃前に戦死してしまうという不運に見舞われた。岩本が第4航空軍司令部の指示を無視して、危険な空路でマニラに行こうとした真意は不明であるが、マニラと岩本らがいたリパの間の距離は約90㎞もあって、ゲリラを警戒しながらの陸路では3時間以上の時間がかかってしまうため、それを嫌ったという理由に加えて、特攻隊長を命ぜられて胸中には憤激と不満が渦巻いていた中で、マニラに呼びつけるといった富永の非常識さにも立腹し、無駄死にを覚悟して、当てこすりにわざわざ危険な空路を選択して、予想通り戦死してしまったなどと推測する者もいるが、実際には、関係者たちは岩本らが自らの意志でマニラに向かったと証言しており、第4航空軍参謀の佐藤によれば、リパからマニラまでは自動車でも1時間程度で来れる距離であり(実際のマニラとリパの間の距離は72㎞)、陸路で来なかったのは、車の手配がうまくいかなかったのか、もしくは遠慮したのではと回想し、同じく第4航空軍参謀の美濃部浩次少佐によれば、陸路では2時間程度かかるが、岩本らが出発した5日の朝の時点では富永がマニラにいないことはわかっていたので、急いでくる必要はなく、陸路で夕方ぐらいまでに到着すればよかったのにと悔やんでいる。 「万朶隊」の不運は続き、同日のアメリカ軍艦載機による空襲で石渡俊行軍曹と通信員の浜崎曹長2名の隊員が負傷、鵜沢邦夫軍曹もフィリピン到着時に不時着して入院していたが、戦死した岩本らを火葬するさいに、火葬のために使ったガソリン缶に引火し爆発、辺り一面に火災が広がり、社本忍軍曹 が大火傷を負ってしまった。これで「万朶隊」で健在な搭乗員はたった5名になってしまった。 意気消沈した「万朶隊」隊員を激励するため、11月10日に富永は同じ特攻隊の「富嶽隊」隊員と共に全隊員をマニラの軍司令官官舎で歓待した。その席で富永は自ら「万朶隊」の隊員ひとりひとりに酒を酌して回り、「とにかく注意してもらいたいのは、早まって犬死にをしてくれるな」「目標が見つかるまでは何度でも引き返してかまわない」「それまでは身体を大事にしてもらいたい」と声をかけた。体当たりをせずに爆弾を投下して帰還しようと密かに考えていた佐々木は、富永の「何度でも引き返してかまわない」という言葉に心をひかれた。富永はさらに「最後の1機には、この富永が乗って体当たりする決心である。安んじて大任を果たしていただきたい」という言葉をかけ、即興で詠んだ漢詩を万朶隊隊員に送った。 神国の精気、万朶の桜将兵の姿、今、燦然と輝く一身を軽くして、大任重し 死を恐れず、徒に死を求むるを怖る。 — 富永恭次 この漢詩で富永は、万朶隊隊員に「決して死ぬことが目的ではない」と教えたが、この富永の教えを聞いた隊員の佐々木は「これほど温情と勇気がある軍司令官なら、自分の決死の計画も理解してもらえる」と意を強くした。
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