岩本隊長戦死とは? わかりやすく解説

岩本隊長戦死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:57 UTC 版)

万朶隊」の記事における「岩本隊長戦死」の解説

万朶隊」が出撃備えて訓練繰り返していた11月4日に、岩本からマニラ第4航空軍司令部作戦打ち合わせに来たいとの申し出があり、電話応対した第4航空軍参謀佐藤勝少佐は、岩本らがまだフィリピンに来たばかり状況をよく把握できていない案じて、「いつも朝はグラマン来ているから」「1時間ぐらいで来られる近いところだから、必ず車でこいよ」と、航空機で来るのは危険だから陸路で来るようにという指示行い岩本も「はい」と返事をしている。岩本第4航空軍司令部向かおうとした目的は、万朶隊現地取材していた報道班員の福湯によれば出撃日時打ち合わせのために、岩本が自らの意志マニラ第4航空軍司令部向かったとされ、報道においては参謀や福湯ら関係者の証言から「攻撃日程等連絡のため」マニラ向かった報じられており、戦後出版物でも「作戦連絡飛行」や「連絡」のため「岩本意志で」マニラ向かったとする資料が多い。しかし、根拠不明であるが、司令官富永が、岩本らの日ごろ労を労うため、マニラ料亭「廣」で歓待しようと考えて11月7日ネグロス島から帰ってくるので申告到着挨拶)をするように」という命令をしてマニラ呼びつけたという主張もある。さらに、岩本万朶隊隊員が「こんな危険な時期呼び寄せるなんて航空戦知らんよ」などと非難しながら渋々従ったなどという推測する者もいる。 11月5日、朝8時に岩本第4航空軍司令部忠告聞くことも無く将校全員となる4名を乗せると自ら特攻機仕様の「九九式双発軽爆撃機」を操縦して兵舎のあるリパからマニラ第4航空軍司令部向かった岩本機は離陸後まもなく「F6Fヘルキャット」から攻撃受けたニコルス飛行場その様子を見ていた海軍津田忠康少尉は敵の激し空襲のなかで爆撃機単機飛行していた岩本機を訝しみ「今頃飛んでくるなんて、おかしな双軽だな」などと心配して見守っていたが、F6Fヘルキャット銃撃受けた岩本機は大きく姿勢崩して黒煙噴き上げながらモンテルンパ付近の畑のなかに墜落した墜落付近ゲリラ勢力強いため、第4航空軍武装兵入れた救援隊編成し救助向かったが、岩本園田芳巳中尉安藤中尉川島孝中尉操縦士士官全員即死唯一通信士官の中川勝少尉重体収容されたがのちに死亡した。このとき、救援隊1人であった第4航空軍衛生班の大元上等兵によれば岩本らの遺体現地住民物色されて、遺品は殆ど奪われていたという。 岩本らが指示破って航空機戦死したという報告聞いた第4航空軍司令部全員落胆し、高級参謀松前未曽雄大佐は「あれほど自動車でこいと指示しておいたのに」とがっかりとした表情話していたという。「万朶隊」は岩本以下の操縦士将校全員出撃前に戦死してしまうという不運に見舞われた。岩本第4航空軍司令部指示無視して危険な空路マニラ行こうとした真意不明であるが、マニラ岩本らがいたリパの間の距離は約90もあって、ゲリラ警戒しながらの陸路では3時間以上の時間かかってしまうため、それを嫌ったという理由加えて特攻隊長を命ぜられて胸中には憤激と不満が渦巻いていた中で、マニラ呼びつけるといった富永の非常識さにも立腹し無駄死に覚悟して当てこすりにわざわざ危険な空路選択して予想通り戦死してしまったなどと推測する者もいるが、実際には、関係者たち岩本らが自らの意志マニラ向かった証言しており、第4航空軍参謀佐藤によればリパからマニラまでは自動車でも1時間程度来れる距離であり(実際マニラリパの間の距離は72)、陸路で来なかったのは、車の手配がうまくいかなかったのか、もしくは遠慮したのではと回想し同じく第4航空軍参謀美濃部浩次少佐によれば陸路では2時間程度かかるが、岩本らが出発した5日朝の時点では富永マニラにいないことはわかっていたので、急いでくる必要はなく、陸路夕方ぐらいまでに到着すればよかったのにと悔やんでいる。 「万朶隊」の不運続き同日アメリカ軍艦載機による空襲石渡行軍曹と通信員浜崎曹長2名の隊員負傷沢邦夫軍曹フィリピン到着時に不時着し入院していたが、戦死した岩本らを火葬するさいに、火葬のために使ったガソリン缶引火し爆発辺り一面火災広がり社本軍曹大火傷負ってしまった。これで「万朶隊」で健在な搭乗員はたった5名になってしまった。 意気消沈した万朶隊隊員激励するため、11月10日富永は同じ特攻隊の「富嶽隊」隊員と共に全隊員をマニラ軍司令官官舎歓待した。その席で富永は自ら「万朶隊」の隊員ひとりひとりに酒を酌して回り、「とにかく注意してもらいたいのは、早まって犬死にをしてくれるな」「目標が見つかるまでは何度でも引き返してかまわない」「それまで身体大事にしてもらいたい」と声をかけた。体当たりをせずに爆弾投下して帰還しようと密かに考えていた佐々木は、富永の「何度でも引き返してかまわない」という言葉に心をひかれた。富永はさらに「最後の1機には、この富永乗って体当たりする決心である。安んじて大任果たしいただきたい」という言葉をかけ、即興詠んだ漢詩万朶隊隊員送った神国精気万朶将兵の姿、今、燦然と輝く一身軽くして、大任重し 死を恐れず徒に死を求むるを怖る。 — 富永恭次 この漢詩富永は、万朶隊隊員に「決して死ぬことが目的ではない」と教えたが、この富永教え聞いた隊員佐々木は「これほど温情勇気がある軍司令官なら、自分決死計画理解してもらえる」と意を強くした。

※この「岩本隊長戦死」の解説は、「万朶隊」の解説の一部です。
「岩本隊長戦死」を含む「万朶隊」の記事については、「万朶隊」の概要を参照ください。

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