山陰地方の四隅突出型墳丘墓とは? わかりやすく解説

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山陰地方の四隅突出型墳丘墓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/27 09:57 UTC 版)

四隅突出型墳丘墓」の記事における「山陰地方の四隅突出型墳丘墓」の解説

広島県三次市周辺の9基、岡山県津山市周辺2基、島根県東部19基(石見山間地1基含む)、鳥取県6基、石川県1基、富山県1基で計38基が知られている。また県別分布では総数103基で、島根県39基(邑南町1/隠岐の島西町1/出雲市11/松江市15/東出雲1/安来市10)、鳥取県28基(米子市11/伯耆町2/大山町7/倉吉市5/湯梨浜町1/鳥取市2)、福井県3基(福井市3)、石川県1基(白山市1)、富山県10基(富山市10)、広島県17基(三次市12/庄原市3/北広島町2)、岡山県1基(鏡野町1)、兵庫県2基(加西市1/小野市1)、福島県2基(喜多方市2)ともする最初に確認され四隅突出方墳は、島根県邑南町瑞穂の順庵原じゅんなんばら)一号墳であり、1969年昭和44年)に確認された。北陸地方では1974年昭和49年)に富山市杉谷杉谷4号墳が確認されたのが最初である。 最も発展した時期様相は、例えば、島根県安来市荒島地域にある仲仙寺ちゅうせんじ)8・9号墓(国の史跡十数個の碧玉製管玉が出土)、宮山4号墓鉄刀出土)、安養寺1・3号墓などに副葬品小石から貼り石への構造変化発展系列がみられ、古墳時代先取りした高度な土木技術用いられている。 3世紀前後時期では、島根県出雲市大型西谷3号墓最長辺約50メートル)・2号墓4号墓9号墓小型墓として青木中野美保西谷1号6号墓前述した安来市荒島墳墓群宮山仲仙寺大型として塩津山6・10号墓、小型墓としてカワカツ墓)や鳥取県の西桂見墳丘墓代表的大型墳丘墓である。大型墓は限られた丘陵などに累代的に築造されている。これらの大型墓の被葬者は、限られた地域支配したではなく、その平野周辺影響力及ぼしたものと推測されるこのように弥生後期には出雲の西と東に大きな政治勢力形成されたものと考えられている。また、大規模な墳丘墓吉備楯築墳丘墓がほぼ同時期に存在した推測されている。そして、西谷3号墳丘墓埋葬施設楯築墳丘墓のそれと同じよう構造木槨墓であり、埋葬後の儀礼用いた土器中に吉備特殊器台・特殊壺山陰東部北陸南部からの器台・高坏などが大量に混入していた。 山陰四隅突出型は、突出部に1メートルほどの石を使っているものがあるが、北陸四隅突出型は石を使っていない。四隅突出型が似ているということは山陰地方東部から北陸地方南部にかけての首長の間に強い結びつきがあり、政治的勢力同盟関係があったのではないか推測できる。さらに、吉備場合同様なことが考えられる。 これら、山陰四隅突出墳丘墓古墳時代になると西谷墳墓群繁栄止まり東部安来では古墳時代最初巨大方墳として発達してゆく、この地域首長繁栄は、奈良時代前期まで続いた考えられている。

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