宮城長順の空手観
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その生涯において、長順は三編の論文を残しているが、その空手観は『剛柔流拳法』(1932)および『唐手道概説』(1934,1936)において比較的明瞭である。 まず、唐手の定義としては,寸鉄を帯びない徒手空拳の武術、武道としており、武器を用いることもあるが補助的としている。 そして、空手の来歴については,前著では剛柔流は「支那拳法福建派」(南派少林拳、南拳)に由来するとしているが経緯などは述べられていない。後著においても唐手のルーツは支那であると断言するとともに、ただし福建派に由来するとまで系統がはっきりわかっているのは剛柔流だけであり、そういう意味でも正統名門であるとしている。 以下の長順の空手観は、古来の秘密主義の武技に過ぎなかったものを、より精神性の高い武道へと昇華し、本土および世界へと普及させていくために、より公開された、一民族にとらわれない普遍的武道にまで高めていかなければらならないという主張であり、彼自身がその生涯で行った普及活動の内容とも一致するものとなっている。 従来の唐手は、護身術といった側面に重きが置かれていたため精神性に乏しく、「唐手に先手なし」といった標語以上のものがなかった。また少数の弟子を選んで秘密裡に伝える形態だったため、型が失伝することも多かった。現在これは公開主義に改められており、精神面(人格の陶冶、死生観、護国といった面か?)においても柔道・剣道など日本武道にひけをとらない拳禅一如の境地をめざすべきだとする。 また,長順自身がハワイに長期滞在して普及を図ったように、日本人を越えて海外の人にまで普及させるためには、他武道と同様に試合や競技化は積極的に推し進めるべきだとする。 唐手道の将来 隠密の間に伝授されたる唐手術の時代は既に去り、公の間に錬磨すべき唐手道の時代は来れり。是れに因り、之れを観ざれば斬道の前途は愈々遼遠なるもの有り。これを契機として従来琉球と称する壺中の天地に跼蹐[きょくせき](肩身の狭い思いをすること)し、自ら秘法の如く唱へ喧伝したる唐手の実相を発し、天下に公開し、而してあらゆる武道大家の批判と研究を仰ぎ、尚お将来に於いては多年の懸案たる防具の完成を期し、他の武術と同一程度に試合し得る途を拓き、由って以て一般日本武道の精神に合流せしめん事を吾人は痛切に感ずるもの也。 基本的に、長順の空手観は、同時代の柔道家嘉納治五郎が柔術から柔道という国際武道スポーツを創始しようとした姿勢を共有するものとなっており、当時空手諸派が本土への普及を図る際に、嘉納による斡旋、要請があったこと、当初本土で空手に興味をもつ人に柔道家が多かったことなどを考え合わせると、その影響を強く受けたものになっているのは当然であろう。 さらに、この8年後に出版された『法剛柔呑吐』(1944)においては、空手が武徳会に認められ日本武道の列に伍したことは「御同慶の至り」として祝福しながらも、その表記が唐手から空手に移ったことについてはオリジナルの福建拳法は沖縄において「歪曲」されている可能性もあるので、唐の文字は用いない方がよいかもしれないと誤解を招きそうな物言いをしている。長順は剛柔流を少林拳直系の名門流派として誇り、中国福建や上海に三度も渡っていることからも分かるように、武技としては少林拳そのものを非常に高く評価していたようである。
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