大隅諸島
大隅諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 07:14 UTC 版)
大隅諸島(おおすみしょとう)は、南西諸島のうち鹿児島県に属する薩南諸島北部の島嶼群[2]。南西諸島および薩南諸島の最北部に該当する[2]。屋久島・種子島・口永良部島・馬毛島などからなる諸島で、竹島・硫黄島・黒島を含む場合もある[3]。熊毛諸島(くまげしょとう)、大隅群島(おおすみぐんとう)の別名がある[3]。
- ^ a b c d e “大隅諸島(おおすみしょとう)とは”. コトバンク. 2018年4月8日閲覧。
- ^ a b 塚田公彦. "南西諸島". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2024年3月23日閲覧。
- ^ a b 『島嶼大事典』1991年12月20日第1版第1刷発行、100頁「大隅諸島 おおすみしょとう」
- ^ 『古代学研究』第12号、1955年10月20日、1-6頁、盛園尚孝「報告 鹿児島県熊毛諸島の彌生文化(1)――中種子町輪之尾遺跡の概報とその示す意義――」(古代學研究會)
- ^ a b 松下志朗・下野敏見(編)『鹿児島の湊と薩南諸島』〈街道の日本史〉55、吉川弘文館、2002年11月、ISBN 978-4642062558、10頁。
- ^ 上三島. コトバンクより2024年2月7日閲覧。
- ^ 細分区説明 - 鹿児島地方気象台
- ^ 予報用語の改正について - 気象庁
大隅諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:40 UTC 版)
大隅諸島は南西諸島の北部に位置し、屋久島、種子島、口永良部島、馬毛島の4島から成るが、広義には西側の三島村に属する島々(上三島、口之三島ともいわれる)も含まれる。種子島西部、屋久島東部などにサンゴ礁が小規模であるが発達し、これらは南西諸島に分布する最北端のサンゴ礁と考えられる。 九州地方の最高峰である宮之浦岳を擁する屋久島は、中新世に四国海盆の沈み込みにより生じた花崗岩が、隆起と侵食を受けて、高く険しい山地を形成したと思われる。海岸付近では数百メートルを超す急な斜面が現れるが、島中央部に向かうにつれて、斜面は緩くなる。山頂部は岩盤がむき出しの状態となるトア地形が生じている。これは、長年の風化や、氷期に起こった周氷河作用によるものと考えられる。南部と東部の海岸部に4段または5段に及ぶ海岸段丘が発達している。更新世に段丘が形成されたと思われるが、海抜数メートルの非常に低い場所に完新世時代の段丘が見受けられる。 高峻な地形の屋久島に対して、種子島は低平な台地状の島である。種子島は海底から隆起した島で、全体的に海岸段丘が発達している。特に島北西岸部は幾度にわたって形成された海岸段丘が見受けられるが、南東部では段丘地形が侵食され、溺れ谷が目立つ。これは島北部は主に砂岩と粘板岩の堅硬な互層から成り、南部は礫岩や泥岩などの軟弱な地質で構成されているからである。また島全体はテフラと呼ばれる火砕流による堆積物が完新世に広がり、地上の動植物に多大な影響を及ばしたと見られる。 口永良部島と上三島は阿蘇山から南へ連なる霧島火山帯に属する。また硫黄島と竹島は鬼界カルデラの外輪山の一部を成し、ほとんどのカルデラは海底に沈んでいる。直径約20kmの楕円形カルデラで水深は最大500mにも達する。過去に大規模な火砕流を伴う噴火は少なくとも4回発生し、最近の噴火時期は約7300年前である。これらの火砕流は東側に離れた屋久島と種子島、さらに九州南端の大隅半島や薩摩半島にまで及んだ。口永良部島の東部と西部に2つの火山体を有する。特に東部に位置する新岳の噴火活動は活発で、有史時代から何度も噴火している。1933年の噴火により東側山麓に存在した集落が消滅している。
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