地中海、黒海
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地中海東岸では紀元前3千年紀には都市国家があり、レバノンスギが建築や造船に用いられる優れた木材として有名だった。レバノンスギはエジプトやメソポタミアにも輸出され、グブラでは紀元前2680年にはすでにエジプトから遠征隊が訪れて伐採を行っていた。紀元前23世紀以降に最盛期を迎えたエブラには、紀元前2250年頃の粘土板文書があり、アナトリア、パレスティナ、キプロス島、メソポタミア、エジプトと貿易をしていた記録がある。東岸の諸都市は古くから貿易で栄えており、その富はしばしば周辺国の紛争の原因にもなった。レバノンスギの他にも良質の木材に恵まれていたが、伐採によって森林は減少していった。 紀元前20世紀にはクレタ島にミノア文明が興り、ミノアはエジプトや地中海東岸の都市と取り引きを行った。やがてミノアはペロポネソス半島のミケーネ文明と競合して、ミケーネはミノアによって東への進出をはばまれるが、紀元前15世紀にクレタ島を占領した。金属貿易としてタウロス山の銀、エジプトの金、キプロスの銅を扱うウガリトが紀元前14世紀を頂点に繁栄した。ウガリトの商人は東岸やメソポタミアで取り引きをしつつ、王の使節に同行して管理貿易をする者のほかに私的な商人もいた。ウラの商人は、ヒッタイトから貿易を委託されてウガリトに滞在したが、次第にその経済力が警戒されて、土地の購入を禁じられるようになった。海上では当時から海賊の被害が深刻であり、ウガリトとキプロスが海賊対策で協定を結んだこともあった。
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地中海、黒海
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ビザンツ帝国軍とアラブ軍は8世紀から9世紀にかけて海戦を行い、シリア、エジプト、チュニジアがイスラーム王朝の統治下におかれた。アラブやシリアのイスラーム商人、ユダヤ商人、イタリア都市の商人が地中海貿易を活発に行い、イスラームのキラード制度によって、宗教が異なる者同士でも協力をして取り引きを行った。海上商人は武装商人でもあり、機会があれば他船を攻撃して略奪を行う場合もあった。地中海の縦断には1、2週間かかり、チュニスからリヴォルノまでは11日、コンスタンティノープルからアレクサンドリアまでは寄港を含めて2週間ほどで、地中海全域の横断には2、3ヶ月かかった。トゥルン・ウント・タクシス家(ドイツ語版)の郵便事業は、ローマとマドリードを1カ月ほどで結び、重大な知らせは、さらに迅速に運ばれた。
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