ミノア文明とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ミノア文明の意味・解説 

ミノア‐ぶんめい【ミノア文明】

読み方:みのあぶんめい

Minōa》クレタ文明異称クレタ伝説的なミノスにちなむ呼称


ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/14 07:39 UTC 版)

ミノア文明(ミノアぶんめい)は、エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明のことである。伝説上のミノス王にちなみ、ミノス文明とも呼ばれるが、クレタ文明と呼ばれることもある。


注釈

  1. ^ ただし、現在見ることのできる玉座やベンチがあったわけではなく、「水祓の間」と呼ばれるミノア文化独自の祭祀施設を中心に構成していたと考えられている[11]
  2. ^ 印章や粘土板が発掘されており、行政の中心地であった可能性も存在する[11]
  3. ^ 纏まった資料が出土する場所としてLMIA期の土器はサントリーニ(テラ)島アクロティリ英語版遺跡が上げられる[13]
  4. ^ この『聖別の角』と『双斧』(ラブリュス)はミノア文化における特別な象徴であったと思われる[18]

出典

  1. ^ 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 66ページ
  2. ^ 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 65ページ
  3. ^ 出典 : 小山真人『ヨーロッパ火山紀行』ちくま新書、1997年、33頁
  4. ^ 周藤 (1997-a)、pp.78-79
  5. ^ a b c 周藤 (1997-a)、p.79
  6. ^ 周藤 (1997-a)、p.84.
  7. ^ 周藤 (1997-a)、p.80
  8. ^ a b 周藤 (1997-a)、p.81
  9. ^ 周藤 (1997-a)、p.82
  10. ^ 周藤 (1997-a)、pp.84-85
  11. ^ a b c d 周藤 (1997-a)、p.87
  12. ^ 周藤 (1997-a)、pp.87-88
  13. ^ a b c 周藤 (1997-a)、p.88
  14. ^ a b 周藤 (1997-a)、p.89
  15. ^ 周藤 (1997-a)、p.90
  16. ^ 周藤 (1997-a)、pp.91-92
  17. ^ 周藤 (1997-a)、pp.92-93
  18. ^ 周藤 (1997-a)、p.93
  19. ^ 周藤 (1997-a)、pp.75-77
  20. ^ 周藤 (1997-a)、pp.77-78
  21. ^ 周藤 (1997-a)、p.78


「ミノア文明」の続きの解説一覧

ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)

ギリシャの歴史」の記事における「ミノア文明」の解説

ミノア文明における再分配システムでは物資管理を行うために「線文字A」と呼ばれる文字体系確立された。また、このシステムにより、各種精巧な工芸品生まれており、土器これまでのカマレス土器変わって美しいものが生まれ始めた。前1700年から前1500年頃にミノア文明は頂点迎えケア島ミロス島サントリーニ島などまでその文化圏及んでいたと考えられ、特に前1628年サントリーニ島爆発により埋没したアクロティリはこの時代情報多く伝え貴重な存在化している。 また、このアクロティリには多くフレスコ画が見つかっており、華やかなミノア文明を現在に伝えその中でナイル川描いた思われるフレスコ画発見されており、ミノア文明がエジプト交流していたことも想像されている。その証拠エジプトにおいてクレタ島起源とする土器発見されており、新王国時代の墓ではファラオ朝貢するクレタ人(ケフティウ)の絵も存在する。さらにユーフラテス河畔でも確認されており、ミノア文明の活動範囲がかなり広がっていたと考えられている。 さらに『フライパン』と呼ばれるなべ型の器や『キクラデス偶像』と呼ばれる大理石の像があるが、これはオリエントにおける多産豊穣祈願したものでなく、白い大理石磨き上げられたものでオリエント文明とは異質な独自の文化持っていたことが考えられている。

※この「ミノア文明」の解説は、「ギリシャの歴史」の解説の一部です。
「ミノア文明」を含む「ギリシャの歴史」の記事については、「ギリシャの歴史」の概要を参照ください。


ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:35 UTC 版)

クレタ島」の記事における「ミノア文明」の解説

クレタ島ヨーロッパにおける最初文明のひとつであるミノア文明が栄えた当時の社会については、伝えられるべき文字が遺されなかったため、遺構から類推するよりほかないが、平和で開放的であった考えられている。ミノア期の遺跡には、壮麗な石の建築物複数階の宮殿があり、排水設備や、女王のための浴場水洗式トイレがあった。水力動力とする仕組みに関する技術者知識はとても高度なものであったエジプトなどとの交易によってもたらされ遺物から、ミノア文明は、紀元前3000年頃からクノッソス衰退した紀元前1400年頃ごろまで栄えた考えられている。 その当時クレタ島使われていた言語ミノア語であると考えられている。ミノア語アルファベットとは異な象形文字持ち、これを線文字Aと呼ぶ。線文字Aはいまだ解読されていないが、後世書体簡略化された線文字B1952年マイケル・ヴェントリスによって、ギリシャ語である事が判明した。またミノア語からはクレタ語と呼ばれる言語派生した考えられているが、現在は死語であり、資料地中海沿岸発見されたものがわずかにあるだけで、これについて分かっていることは非常に少ない

※この「ミノア文明」の解説は、「クレタ島」の解説の一部です。
「ミノア文明」を含む「クレタ島」の記事については、「クレタ島」の概要を参照ください。


ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:50 UTC 版)

クレタ島の歴史」の記事における「ミノア文明」の解説

詳細は「ミノア文明」を参照 クレタ島青銅器時代ギリシア本土キュクラデス諸島青銅器時代並行しているが、その文化独立した道を歩んでいる。ギリシア本土島々多数発見されるソースボート土器クレタ島ではほとんど発見されず、クレタ島多数見つかるティーポット土器クレタ島以外の場所で見つかることも滅多にない前宮殿時代には海岸沿いの高台などに多く集落営まれた。集落形態計画性無く人々は数世代にわたり用いられ共同墓に葬られた。 前2000年頃に入るとクレタ島青銅器文化特筆すべき発展遂げた。この時期クレタ島各地大型宮殿登場し始める(古宮殿)。ミノア文明の宮殿はその規模さることながら規格化されプラン特徴がある。現在発見されている宮殿遺構クノッソスフェストスマリア英語版)、ザクロス英語版)の4か所と、1990年代あらたに発見されたガラタスであり、いずれも基本的に同一構造持っている。これは当時クレタ島人間社会組織化進んだことを明確に表しており、膨大な労働力投入を可能とする階層分化上に立ったのは、強力な権力持ったと言うより神官団などの役人集団ではないかとも考えられるが)や政治的統合進展したものと見られる宮殿同時に工房倉庫でもあり、物資搬入搬出管理する会計必要によって文字システム構築された。最も原初的形態絵文字は、古代エジプトヒエログリフ似ていることから、ヒエログリフィク(ヒエログリフ式の)と呼ばれており、ここから線文字A呼ばれる文字体系発達した。これはまだ未解読であるが、会計使用されたと推定することができ、ギリシア世界で初めての文字体系である。その成立時期中期ミノア時代以降であり、前18世紀頃に成立したと見られる各地宮殿中期ミノアII期の末に一斉に崩壊した。この原因は恐らく地震であると見られその後に元々の宮殿を更に拡張した新たな宮殿新宮殿)が再建された。この新宮殿時代にミノア文明はその絶頂期迎え拡大した宮殿周囲には現代学者によってヴィラ呼ばれている独立家屋作られグルニアやコモス、パレカストロでは大型港湾都市形成された。ミノア文明の影響ケア島ミロス島サントリーニ島のような周辺の島々にもおよび、サントリーニ島遺跡アクロティリからは火山埋没した当時フレスコ画発見され、その描写から往時のミノア文明の交易範囲エジプトまで広がっていたことをよみとることができる。エジプトにおいても第15王朝(ヒュクソス)時代首都であったアヴァリス遺跡(テル・アル・ダバア)では、クノッソスなどの遺跡特徴的な「牛飛び」を描いたフレスコ画発見されており、パレスチナでも同種のフレスコ画が見つかっている。新王国時代エジプト貴族の墓には、ファラオ朝貢するクレタ人(ケフティウ)の姿も描かれており、これらは当時クレタ島のミノア文明を担っていた人々東地中海各地交流持っていたことを示す。 栄華誇ったミノア文明は、後期ミノアIB期(LMIB)の末に主要都市多く崩壊して断絶した例外的にクノッソス宮殿機能維持され続けたが、その文化ミノア伝来の物から、新たにギリシア本土からもたらされミケーネ文化ミュケナイ)の影響強く見られるものへと変容している。この青銅器時代半ばのミノア文明の衰退と崩壊原因多種多様に論じられているが未だ明らかではない。概ねそれは自然災害外敵侵入いずれかに帰せられているが、クレタ島におけるミケーネ文化普及から、ミケーネ文化中心地であったギリシア本土からの侵略想定するのが一般的である。

※この「ミノア文明」の解説は、「クレタ島の歴史」の解説の一部です。
「ミノア文明」を含む「クレタ島の歴史」の記事については、「クレタ島の歴史」の概要を参照ください。


ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/31 06:27 UTC 版)

トイレ遺構」の記事における「ミノア文明」の解説

ギリシアクレタ島は、小アジア系のクレタ人による海洋文明(ミノア文明・紀元前20世紀紀元前14世紀)の栄えたことで知られ、未解読線文字A存在が有名である。ここでは下水道つながった木製便座が見つかっている(水洗式便所)。

※この「ミノア文明」の解説は、「トイレ遺構」の解説の一部です。
「ミノア文明」を含む「トイレ遺構」の記事については、「トイレ遺構」の概要を参照ください。


ミノア文明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 03:37 UTC 版)

ラブリュス」の記事における「ミノア文明」の解説

ラブリュスという言葉とそのシンボル紀元前2千年紀栄えたミノア文明と密接に関連しており、特にある女神信仰と関係が深い。人間よりも背の高いミノア文明期のラブリュスいくつかつかっており、生贄儀式使われていたとも言われている。生贄とされたのは雄牛見られている。ラブリュスシンボルは、クレタ島クノッソスの宮殿での青銅器時代考古発掘多数つかっている。クレタ島考古調査によれば両刃斧は特に神官儀式用いていた。ミノア宗教的シンボル中でも両刃斧は最も神聖なのだった両刃斧を両手持ったミノア女性が見つかっており、有力者だった可能性が高いと見られている。 近東他の地域では、このような斧は男神持っていることが多く落雷象徴とされている。しかしクレタ島ではそれらの地域とは異なり男神両刃斧を持つことは決してなく、常に女神その女神官持っていた。 雄牛ゼウス象徴であり、インド・ヨーロッパ神話によく見られるゼウスや他の雷神起こすのに使う武器ラブリュス結び付けられている。例え北欧神話トールミョルニルふるって起こしインドラヴァジュラ好んで使った同様にゼウスが嵐を起こすのに使ったケラヴノス(Keravnos)はラブリュスまたはペレクスだった。 Blinkenbergは、稲妻などの恐ろしい自然現象は神をなだめる主要な理由だったとして、次のように記している。 多くの点から、両刃斧が稲妻表したのであることは明らかである。……その信仰ギリシアテネドス島小アジア南西部いくつかの都市維持され、後に小アジア雷神(ゼウス・ラブラウンデウス)として歴史記録された。seal-stone に刻まれた絵には両刃と共にジグザグの線が描かれたものがあり、稲妻表している。 しかしフェミニズム解釈では(特にマリヤ・ギンブタス)、ラブリュス形状実用的な斧よりもチョウ似ているとして、地母神象徴とする。ロバート・グレーヴスは月の偉大な女神の象徴解釈し両側の曲線満月満ち欠け示しているとした。

※この「ミノア文明」の解説は、「ラブリュス」の解説の一部です。
「ミノア文明」を含む「ラブリュス」の記事については、「ラブリュス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ミノア文明」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「ミノア文明」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミノア文明」の関連用語

ミノア文明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミノア文明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミノア文明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのギリシャの歴史 (改訂履歴)、クレタ島 (改訂履歴)、クレタ島の歴史 (改訂履歴)、トイレ遺構 (改訂履歴)、ラブリュス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS