唐蕃会盟碑とは? わかりやすく解説

唐蕃会盟碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 14:43 UTC 版)

唐蕃会盟碑(とうばんかいめいひ、チベット語གཙུག་ལག་ཁང་མདུན་གྱི་རྡོ་རིངས་ワイリー方式:gtsug lag khang mdun gyi rdo rings、「トゥルナン寺の前の碑」の意)は、唐朝吐蕃の間で成立した長慶会盟の内容を記載した石碑9世紀に立てられた。




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唐蕃会盟碑

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長慶会盟」の記事における「唐蕃会盟碑」の解説

「唐蕃会盟碑」を参照 823年長慶3年/彝泰9年)、唐両国会盟内容参加使節名及びその経緯刻字した石碑を、唐蕃国境の日月山(ニンダーラ、グング・メル山)、そして両国都城である長安ラサ(邏些)の3箇所設置された。長安及び日月山石碑失われたが、邏些に設置されたものは現在のチベット自治区ラサ市大昭寺現存している(唐蕃会盟碑)。 碑文では、中国語では「大唐」「大」、チベット語では「大中国(rgya chen po)」「大チベット(bod chen po)」等と明記され両国対等立場和平条約締結し国境について合意した旨が記されている。あるいは{中国語では「和同一家」、チベット語ではとし、}中国語では「社稷一にせんと商議し(商議社稷如一)」チベット語では、「国政一つにしようと相談し(chab srid gcIg du mol nas)」、今後については、「二國」すなわち「チベット中国二国bod rgya gnyis)」が、相互に国境犯すことなく、また兵を用いないことが強調されている。 条文には、 大唐文武孝徳皇帝與大聖神贊普 舅甥二主商議社稷如一結立大和盟約、永無淪替、神人倶以證知、世世代代使其稱讚、是以盟文節目題之於碑也。 チベット大王化身せる神ツェンポと中国大王中国の君主フワンティ(皇帝)の甥舅二者は、国政一つにしようと相談し、大講和なさったそのことは、重大であり如何なる時も変わることなく全ての神と人が知って証人となって生々世々かたり伝えるようにするその為に講和大要石碑書いたのである。 今二國所守見管本界、已東悉爲大唐國疆、已西盡是大境土彼此不爲寇敵、不擧兵革、不相侵謀、封境或有猜阻捉生、問事訖、給以衣糧放歸、今社稷叶同如一、爲此大和 チベット(bod)・中国(rgya)の二国は現在支配している国土境界守り、その東方全て大中国国土西方全て正しく大チベット国土で、これよりは互いに敵として争わず軍勢動員せず、国土侵犯せず、信頼できぬことがあれば、人を捕らえて取り調べ釈放して国外送還すべし。今、国政同じくし、大講和このようにさることにより 然 舅甥相好之義善誼、毎須通傳、彼此驛騎一往一來、悉遵曩昔舊路、漢並於將軍谷交馬、其綏戎柵已東、大唐祗應、清水縣已西、大供應、須合 舅甥親近之禮、使其兩界煙塵不揚、罔聞寇盗之名、復無驚恐之患、封人撤備、郷土倶安、如斯樂業之恩垂於萬代、稱美之聲遍於日月所照矣、蕃國受安、漢亦漢國受樂、茲乃合其大業耳 甥・舅は喜び書簡をも往来させるべきであり、相互使者往来も、古い街道生じて、昔のしきたり通りに、チベット中国 二国の間の将軍谷にて馬を乗り換え、ツェシュンチェク(綏戎柵)にて中国接す下流側中国供応する。ツェンシュヒェン(清水県)にてチベット接す上流側は、チベット供応して、甥舅の二者近くて縁戚である状況のごとくに奉仕尊敬流儀あるよう案配して、二国の間には戦争起こらない突発的な憎悪対立の名を聞くともなく国境を守る者までも疑い恐れことはなく、それぞれの土地寝床でのんびりと、安らかに暮らして幸せ大恩万代の間にいたり、賛嘆の声は日月到達したその上にゆきわたってチベット人チベット国にて安らかに中国人中国にて安らかにするという偉大な政事整えてから などと記されている。 チベット亡命政権情報国際関係省の訳文では、 チベットおよび唐は、現在の国境遵守すべし。国境の東はすべて大唐帝国に、西は大チベット帝国帰す。これより後、いずれの国も兵を挙げ隣地侵してならない。 とある。 中華人民共和国はこの条文解釈を以下のように解釈しチベット併合根拠にしている。 チベット人漢人は、双方皇室による通婚同盟通し政治面では友好的な姻戚関係固め経済・文化の面でも緊密な関係を結び、統一国家建設にむけて堅固な基盤築いたこのような中国側解釈に対してチベット亡命政府などは、まったくのでたらめであるとして反発し、唐と吐蕃は、それぞれ別の国として記載されていることを強調している。

※この「唐蕃会盟碑」の解説は、「長慶会盟」の解説の一部です。
「唐蕃会盟碑」を含む「長慶会盟」の記事については、「長慶会盟」の概要を参照ください。

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