古墳群の調査研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 23:24 UTC 版)
龍角寺古墳群について現在知られている最も古い文献は、1591年(天正19年)の岩屋古墳について書かれたもので、当時すでに岩屋古墳の横穴式石室が開口していたことが判明している。その後1816年(文化13年)、1821年(文政4年)、1845年(弘化2年)と、江戸時代後期に岩屋古墳について紹介された文献がある。 明治以降もまず岩屋古墳への関心が先行した。明治30年代から40年代にかけて、喜田貞吉や坪内逍遥ら著名人が岩屋古墳を訪れた記録が残っている。 1933年、後藤守一が龍角寺古墳群の調査を実施した。このとき初めて岩屋古墳以外の古墳についても関心が向けられ、現在、風土記の丘資料館の前にある57号墳(前方後円墳)の発掘も行われたというが、調査結果は全く残っていない。 1941年1月27日、岩屋古墳は国の史跡に指定された。 1947年、円墳である110号古墳が早稲田大学考古学研究室の手によって発掘が行われた。この際に組み合わせ式の箱形の石棺、土器の細片が検出された。続いて1952年に、早稲田大学考古学研究室が円墳の109号墳の発掘を行った。この際も出土品は少なく、組み合わせ式の箱形の石棺と直刀一本が検出されただけであった。 1960年からは甘粕健らの手によって龍角寺古墳群の分布調査が実施された。甘粕は1964年に調査結果を発表し、初めて龍角寺古墳群全体についての研究が公表されることになった。この甘粕の研究では古墳群の築造は浅間山古墳の築造がきっかけとなったとされ、この考え方は1996年の浅間山古墳発掘まで続いた。1965年、早稲田大学考古学研究室は岩屋古墳の西隣にある104号墳の発掘調査を実施した。104号墳は一辺約30メートルの方墳で、岩屋古墳と同じ貝化石を含む下総層群木下層(木下貝層)の砂岩で横穴式石室が築造されていることが判明し、石室内からは直刀、金具、人骨などが検出された。 1969年、文化庁は風土記の丘構想を提唱した。千葉県は龍角寺古墳群を風土記の丘の候補とすることとし、古墳群全体の古墳について再確認調査を実施した。千葉県は1970年には岩屋古墳の墳丘と横穴式石室の測量を明治大学考古学研究室に委託し、1973年には風土記の丘資料館の近くにある古墳4基の測量が明治大学考古学研究室の手によって行われた。なお房総風土記の丘は龍角寺古墳群を中心に、1975年9月に開設された。 1976年には早稲田大学考古学研究室がみそ岩屋古墳の墳丘と横穴式石室を測量した。 1976年、龍角寺古墳群の保全を目的とし、千葉県文化課と房総風土記の丘共同で古墳の分布調査を実施し、その結果をふまえて1979年から1981年にかけて古墳群の全古墳についての測量調査が実施された。成果としては岩屋古墳やみそ岩屋古墳の近くなど、古墳群東側に多く見られた地面の高まりは、古墳ではなくて龍角寺参道に造られた中近世の塚である可能性が高いことがこの時の測量調査で判明した。またこれまで度々変更されていた、龍角寺古墳群を構成する個々の古墳に割り振られていた古墳番号を、ほぼ現在用いられているものに統一することができた。龍角寺古墳群の古墳番号は、1979年から1981年にかけての調査後も残っていた誤りを整理の上、1988年に確定されることになる。 1970年代以降、龍角寺古墳群周辺でも開発が進み、開発に伴う発掘が実施されるようになった。まず1980年、住宅地造成に伴い前方後円墳の第2号墳を、県道成田安食線建設に伴い方墳の108号墳と前方後円墳の第75号墳の周溝部分についての調査が行われた。これは開発に伴う調査であったため、発掘後、調査を実施した場所は開発によって消滅した。続いて1982年にも県道成田安食線建設のため、帆立貝形前方後円墳の112号墳と前方後円墳の7号墳の周溝の一部について発掘が行われた。 開発行為に伴う発掘はその後も続き、1984年には宅地造成に伴い113号墳の調査が行われ、更に1992年には8号墳と112号墳の調査も行われた。 また1982年には、千葉県立風土記の丘の手によって円墳である65号墳を発掘した。続いて1983年には前方後円墳である24号墳、1984年から1986年にかけて円墳である101号墳の発掘が行われるなど、開発行為に伴わない発掘も実施された。中でも101号墳の発掘成果は大きなものがあった。 1994年から1995年にかけて、千葉県史料研究財団によって浅間山古墳の測量調査と内部レーダー調査が実施された。そして1996年から1997年にかけて浅間山古墳の発掘が行われ、その結果、浅間山古墳は古墳群で最初期に造られた古墳ではなく、全国的に見ても最後に造られた前方後円墳のひとつであり、古墳の構造や副葬品の内容から興味深い事実が明らかになった。 龍角寺古墳群は日本第二位の大きさの方墳である岩屋古墳や最後の前方後円墳のひとつと考えられている浅間山古墳を擁しており、風土記の丘に指定されたこともあって古墳群の保存状況も比較的良好であり、研究者の関心を集めているが、発掘調査が行われた古墳は少数で、大半の古墳が未調査であり、古墳群の全貌を解明するには至っていない。
※この「古墳群の調査研究史」の解説は、「龍角寺古墳群」の解説の一部です。
「古墳群の調査研究史」を含む「龍角寺古墳群」の記事については、「龍角寺古墳群」の概要を参照ください。
- 古墳群の調査研究史のページへのリンク