古代から室町時代までとは? わかりやすく解説

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古代から室町時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:41 UTC 版)

大津市」の記事における「古代から室町時代まで」の解説

縄文時代前期 - 瀬田川西岸石山貝塚築かれる667年天智天皇6年) - 天智天皇近江大津宮に都を定める。 672年弘文天皇元年) - 壬申の乱発生瀬田川(後の瀬田の唐橋)をめぐって戦闘起こり大友皇子明治3年1870年)に弘文天皇諡号贈られる。)は自決し近江大津宮廃絶する。 奈良時代には瀬田国府置かれ田上山など湖南山々は、平城京造営木材搬出する場となる。 747年天平19年) - 『石山寺縁起によればこの年良弁聖武天皇発願により瀬田川沿いの石山如意輪観音祀る堂宇建立。のちに石山寺となる。 761年天平宝字5年) - 保良宮造営がほぼ終わり孝謙上皇淳仁天皇が行幸する。 788年延暦7年) - 最澄比叡山一乗止観院延暦寺)を開く。 794年延暦13年) - 近江大津宮廃絶後、その跡地古津(ふるつ)と呼ばれていたが、平安京遷都機に大津復する詔が出される平安時代大津は、平安京から東国北国へと向かう人や物を扱う港となる。延暦寺園城寺三井寺)の抗争激化し僧兵登場する石山寺多く平安文学舞台となる。 1096年嘉保3年) - 永長地震発生瀬田の橋落ちるなど大きな被害が出る。 1184年寿永3年) - 木曾義仲が、今井兼平主従源義経源範頼らとの粟津の戦い敗れる。 1214年建保2年) - 延暦寺衆徒園城寺を焼く。 室町時代に入ると延暦寺勢力はますます大きくなり、足利義教細川政元権力者による焼き討ち相次ぐ大津坂本堅田などが物資水上運送繁栄し堅田水軍活躍1468年応仁2年) - 延暦寺衆徒堅田真宗門徒攻め堅田大責発生

※この「古代から室町時代まで」の解説は、「大津市」の解説の一部です。
「古代から室町時代まで」を含む「大津市」の記事については、「大津市」の概要を参照ください。

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