古代から室町時代まで
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縄文時代前期 - 瀬田川西岸に石山貝塚が築かれる。 667年(天智天皇6年) - 天智天皇が近江大津宮に都を定める。 672年(弘文天皇元年) - 壬申の乱が発生。瀬田川の橋(後の瀬田の唐橋)をめぐって戦闘が起こり、大友皇子(明治3年(1870年)に弘文天皇の諡号を贈られる。)は自決し、近江大津宮は廃絶する。 奈良時代には瀬田に国府が置かれ、田上山など湖南の山々は、平城京造営の木材を搬出する場となる。 747年(天平19年) - 『石山寺縁起』によれば、この年、良弁が聖武天皇の発願により瀬田川沿いの石山に如意輪観音を祀る堂宇を建立。のちに石山寺となる。 761年(天平宝字5年) - 保良宮の造営がほぼ終わり、孝謙上皇と淳仁天皇が行幸する。 788年(延暦7年) - 最澄が比叡山に一乗止観院(延暦寺)を開く。 794年(延暦13年) - 近江大津宮廃絶後、その跡地は古津(ふるつ)と呼ばれていたが、平安京遷都を機に大津に復する詔が出される。 平安時代の大津は、平安京から東国・北国へと向かう人や物を扱う港となる。延暦寺と園城寺(三井寺)の抗争が激化し僧兵が登場する。石山寺は多くの平安文学の舞台となる。 1096年(嘉保3年) - 永長地震が発生。瀬田の橋が落ちるなど大きな被害が出る。 1184年(寿永3年) - 木曾義仲が、今井兼平主従、源義経、源範頼らとの粟津の戦いに敗れる。 1214年(建保2年) - 延暦寺衆徒が園城寺を焼く。 室町時代に入ると延暦寺の勢力はますます大きくなり、足利義教や細川政元ら権力者による焼き討ちが相次ぐ。大津や坂本、堅田などが物資の水上運送で繁栄し、堅田水軍が活躍。 1468年(応仁2年) - 延暦寺衆徒が堅田の真宗門徒を攻める堅田大責が発生。
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