剛軍団、厚木プロレス、冴夢来プロレス時代
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「剛竜馬」の記事における「剛軍団、厚木プロレス、冴夢来プロレス時代」の解説
三度フリーランスとなった剛は米マットに活路を求め、設立間もないECWでハードコアマッチにも挑んだ。帰国後はIWA格闘志塾の伝で『屋台村プロレス』で酔客相手にレスリング・ユニオンのセミプロとの試合をこなす有様だったが、一部マスコミの支援を受け、1993年8月に一人一党の『剛軍団』を旗揚げ。ジェシー・バーを相方に、クラシカルな正統派プロレスリングを標榜し、ご当地プロレス団体の嚆矢とも言える『厚木プロレス』名義での自主興行を地元で打ったり、小規模な地方巡業を細々と行ったりしたが執拗に再戦を呼び掛けた藤波からは、「二度と名前を出さないで貰いたい」と絶縁宣言されてしまう。 そんな苦境の中、1994年8月1日の後楽園ホール自主興行で自らの志向とは正反対の怪奇派レスラー・宇宙魔神X(正体は島田宏)とのシングルマッチを含むダブルヘッダーが決定。2連戦の第1試合はチャボ・ゲレロ&ビリー・ジャック・ヘインズに剛&バーが勝利し、CWUSA認定インターナショナル・タッグチャンピオンを防衛したものの、剛が首を負傷した。宇宙魔神X戦は「あんなオモチャ野郎に負けるわけにはいかない」と昔ながらの山篭り特訓に励み、試合は場外乱闘で何度も「ショア」と叫び、椅子、モップやチリトリなどを掲げながらアピールしての攻撃に、会場から大声援が沸き起こる。試合後のマイクアピールで剛は、「私はプロレスしかできない『プロレスバカ』です!そんな馬鹿で不器用な男ですがまた会場に来てください!」と発言し客の喝采と大量の「バカ」コールを浴び、マスコミでも大々的に取り上げられた。『プロレスバカ(PB)』なるニックネームが定着したのは、この試合の前後で、会場で「バカ」コールが起きるようになり、剛も「見る方のプロレスバカの皆さん」とマイクアピールで応酬した。 「プロレスバカ」のちょっとしたブームが起きる中で、格闘技バラエティー番組『リングの魂』(テレビ朝日)にも、数回連続で出演していた。これは、同番組で注目を集めていた(剛自身の先輩でもある。)アニマル浜口に挑戦する企画で「出演を直訴する手紙を自筆で送った」ものだったが、宛先には『リングの塊』と書かれていた。この時期から『週刊プロレス』編集部へ頻繁に電話をかけるようになる。 1994年はこれらのムーブメントの余勢を駆って平成維震軍旗揚げ戦のメイン(越中対シン)に乱入しマイクアピールを行ったり、現役復帰した浜口とのタッグでWARにも出陣してリング内外で「気合ダー!」、「ショア!」 の応酬を展開するなど、久方ぶりにその存在を印象付けた。特に浜口とのタッグは、リングアナウンサーから「リンたまタッグ」と呼ばれたこともある。 翌1995年4月2日に『週刊プロレス』の発行元「ベースボールマガジン社」が主催した、東京ドームでのオールスター興行『夢の懸け橋〜憧夢春爛漫〜』の第4試合に参戦した際には、6万人の観客席から「ショア!」、「バカ!」、「1,2,3,4,剛!」の掛け声が鳴り響き、レスラー人生の絶頂を極めた。そのため剛は東京ドームでシングルマッチを行ったレスラーの一人になった。同年5月4日にはプロレスマニアのバカ社長率いるハードコアパンクバンド『猛毒』の単独ライブ『'95 ビッグチャレンジ・スーパーマグマシリーズ』(三軒茶屋HEAVEN'S DOOR)に登場し、観客が弁当代わりに持参していたバナナを掲げつつ、曲に合わせてただ延々と「ショア!」と叫び続け、暗黒プロレス団体666設立の切っ掛けを作る。 1996年1月16日のレスラー生活25周年記念後楽園ホール大会に向けて、妻と2人の子供と共にポスター貼りをする模様が専門誌や『バトルウィークリー』(テレビ東京『スポーツTODAY』の1コーナー)で取り上げられたことから、新スポンサーも獲得。個人プロダクション『冴夢来プロジェクト』を2月21日に設立、4月17日の後楽園ホール大会以降は1994年に活動を休止した新格闘プロレスと提携して『冴夢来プロレス』を名乗り、弁当付きの無料プロレスという太っ腹な企画で関東一円を巡業した。勢いでPRIDE参戦さえ表明したが、スポンサーと衝突して1年程で崩壊した。この時代に入門した美濃輪育久は、剛の最後の弟子でもある。1997年前後にはIWA・JAPANにも参戦している。 なお、藤拓地所も剛と決裂後、IWA・JAPANのスポンサーになっている。
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