共同調査会と反共活動とは? わかりやすく解説

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共同調査会と反共活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 10:05 UTC 版)

桜田武」の記事における「共同調査会と反共活動」の解説

1950年代半ば日本共産党武力闘争主義からソフト路線へと戦術転換、"歌って踊って恋をして"を謳い文句に、組織拡大を図る民青下部組織労音通じて積極的に歌ごえ運動を展開、青少年の間へ急速に浸透し企業内にも勢力拡大して党員組織化行っていた。左翼勢力の拡大危惧した桜田1955年9月、その食い止め目的とする「共同調査会」という秘密裏団体設立。この「共同調査会」を軸に広範な反共活動を行う。代表は植村甲午郎であったが、実質上のリーダー桜田で、日経連分身というべき、この団体設立にあたり自由主義経済守り抜こう」と桜田呼びかけ応じ有力者続々集まった東京財界から桜田植村永野重雄小林中水野成夫今里廣記佐藤喜一郎大阪財界芦原義重松下幸之助堀田庄三松原与三名古屋財界から野渕三治の計12人を幹事小坂徳三郎鹿内信隆井深大早川勝坪内嘉雄、田代茂樹諸井貫一盛田昭夫らを幹事補佐とした。会の性格上、表に堂々と出られず、あくまで覆面組織として通し事務所日比谷日活ビル(のち日比谷パークビル現在のザ・ペニンシュラ東京)の一室に置き、表札付けず、月に1回このメンバー集まった。特に1959年三井三池争議は、財界人にとって敗北絶対に許されない天下分け目戦いであったが、「共同調査会」は、財界使用者側)の勝利を収めるべく、三井争議会社側である三井鉱山支援し三井争議資金援助支援組織作り及び、鎮圧にあたる。また政府側の責任者である松野頼三労働大臣がまったくノータッチ動かないため、第1次岸改造内閣石田博英労相桜田らが推した石田は、この三井争議での功績から労相ばかりやることになる。先の労音対抗する手段としては、音楽文化協会(音協)及び、全国文化団体連盟全文連)を結成させた。また企業浸透した共産党員洗い出し民社党への結党資金の提供、日教組分裂工作などの他、ニッポン放送設立フジテレビ開局産業経済新聞社買収に於けるこのグループ中心とした支援も、メディア通じた反共対策一端ともいわれる。「共同調査会」は1968年11月までの13年活動続けた鹿内信隆は「解散の理由共産主義社会主義対す危機感薄らいだ国民協会ができて政治のための金がケタ違い多くなり"財界四天王"が財界動かせなくなった佐藤栄作企業遠ざけ財界バカにするようになったこと」と話している。勿論これは「財界四天王」が君臨した時代衰退意味する

※この「共同調査会と反共活動」の解説は、「桜田武」の解説の一部です。
「共同調査会と反共活動」を含む「桜田武」の記事については、「桜田武」の概要を参照ください。

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