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もちひとおう ―わう 【以仁王】
(1151-1180) 後白河天皇の第三皇子。三条宮。高倉宮。1180年源頼政とはかって平氏討伐を計画し、自ら最勝親王と称して諸国の源氏に挙兵の令旨を発したが、事前に発覚して奈良に逃れる途中、山城国の光明山鳥居前で戦死。
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以仁王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/22 23:37 UTC 版)
以仁王(もちひとおう、仁平元年(1151年) - 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代末期の皇族。後白河天皇の第三皇子。「以仁王の令旨」を出して源氏に平家打倒の挙兵を促した事で知られる。邸宅が三条高倉にあったことから、高倉宮と称された。
- ^ ただし、近年河内祥輔は5月21日以前に以仁王と頼政が謀議をしたというのは『平家物語』の創作で、実際はこの日の園城寺攻撃に頼政が反対したために抗命の罪で捕らえられそうになったために、やむなく頼政親子が王に協力したという説を出している。河内祥輔『日本中世の朝廷・幕府体制』、2007年、吉川弘文館。
- ^ 東国平定以後三善康信など京都出身官人を自己の陣営に招いていた源頼朝は朝廷との以仁王に対する認識の違いを知って、以仁王の令旨を「なかったこと」として代わりの大義名分となる寿永二年十月宣旨を朝廷から受けた。一方、源義仲は以仁王の令旨は「正当な主張」と受け止めて北陸宮擁立論を唱えて結果的に公家社会と敵対した。これが後の両者の命運を分ける一因となる。河内祥輔『頼朝の時代 一一八〇年代内乱史』、平凡社、1990年。
- ^ 『本朝皇胤紹運録』では僧法円を北陸宮に比定している。
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