世界通信戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 16:45 UTC 版)
「ケーブル・アンド・ワイヤレス」の記事における「世界通信戦争」の解説
第一次世界大戦の間、海外のケーブルは英国政府に管理された。海軍・郵政庁(General Post Office)と連携し、ドイツ帝国・北米間の海底ケーブルを寸断、一時はドイツ帝国が所有する太平洋とインドシナ海のケーブルも使えなくさせた。ヤップ島=上海間のケーブルを切り取り、沖縄=上海間に、青島市=上海間は上海=佐世保間につなぎなおした。 1919年、リオデジャネイロとアセンション島の間に、翌1920年ブラジルのサン・ルイスとバルバドスの間に、海底ケーブルを敷設、後者はウエスタンユニオンがフロリダ経由でネットワークを構築できるようにした。ほどなくフロリダには投信を使った不動産投機熱が起こった。1925年、テルコンが技術革新(automatic regeneration)を成し、グリエルモ・マルコーニの無線と競争した。 1929年4月8日、大東電信会社がマルコーニ社および英国通信事業と合併してIIC(Imperial and International Communications)となった。世界恐慌の波紋が広がるなか、テレックスが発明され、アメリカのITT(International Telephone and Telegraph)との競争も激しくなった。1934年、IICからケーブル・アンド・ワイヤレスへ改称した。 1938年、第二次世界大戦突入時に切断すべき、ドイツ・イタリアの海底ケーブルリストを作成した。イギリスは戦中ドイツ帝国のときのように、まずドーバー海峡のドイツからスペイン、ポルトガル、アゾレス諸島にのびるケーブルを切断した。イタリアの宣戦布告を受けては、地中海と大西洋のイタリアケーブルを切断した。英国政府とは自社株を譲るほどの間柄で、代わりに郵政庁が開発した短波無線の特許を得た。翌1939年、ミュンヘン会談で検討されていた「監視計画」を開始。1920年の公職機密法に規定されていた権限を全世界に適用した。検閲、ケーブル監視、無線傍受により、エニグマ (暗号機) を除く世界の通信を監視下においた。 1940年2-4月、英仏間で切断したケーブルの扱いについて協議した。社長のエドワード・ウィルショウがイギリス政府に建議、ドイツ・イタリア・フランスの大西洋ケーブルを切断し、新たに英国=ジブラルタル=アゾレス=アメリカを連結するケーブルの敷設を主張した。連合国であるはずのフランスだが、ケーブル・アンド・ワイヤレスはフランス領西アフリカとラゴス間のケーブルを切断した。
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