フランス領西アフリカ
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フランス領西アフリカ(フランスりょうにしアフリカ、英語: French West Africa、フランス語: Afrique occidentale française, AOF)は、フランス共和国が統治したモーリタニア植民地(現在のモーリタニア)、フランス領セネガル (現在のセネガル)、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)、フランス領ギニア(現在のギニア)、フランス領象牙海岸(現在のコートジボワール)、ニジェール(現在のニジェール)、オートボルタ(上ボルタ、現在のブルキナファソ)とフランス領ダホメ(現在のベナン)の旧フランス領8地域のことである。首都は1895年から1902年まではサンルイに、1902年からはダカールに置かれた。
- ^ Lawrance, Benjamin Nicholas (2007). Locality, Mobility, and "nation": Periurban Colonialism in Togo's Eweland, 1900-1960. University Rochester Press. ISBN 9781580462648
- ^ Hastings, Adrian (5 January 1995). The Church in Africa, 1450-1950. Clarendon Press. p. 417. ISBN 9780191520556
- ^ Kobo, Ousman (2012). Unveiling Modernity in Twentieth-Century West African Islamic Reforms. Brill Publishers. p. 76. ISBN 9789004233133
- 1 フランス領西アフリカとは
- 2 フランス領西アフリカの概要
- 3 歴史
フランス領西アフリカ
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「コートジボワール」の記事における「フランス領西アフリカ」の解説
詳細は「フランス領西アフリカ」を参照 1843年から1844年にen:Louis Édouard Bouët-Willaumezがグラン・バッサムの王と条約を締結して保護国とし、徐々に沿岸部から内陸部へと支配領域を拡大した。 en:Ashanti–Fante War(1806年 - 1807年)、en:Ga–Fante War(1811年)、en:Ashanti–Akim–Akwapim War(1814年 - 1816年)、en:Anglo-Ashanti wars(1823年 - 1831年、1863年 - 1864年、1873年 - 1874年、1895年 - 1897年)、en:War of the Golden Stool(1900年)。 アフリカ分割が始まると、1893年にフランスの植民地フランス領西アフリカとなり、1904年にアビジャン(1983年まで首都)が建設された。全土の制圧は1917年にまでもつれ込んだ。
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