上高津貝塚とは? わかりやすく解説

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上高津貝塚

名称: 上高津貝塚
ふりがな かみたかつかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 土浦市宍塚上高津中高津
管理団体 土浦市(昭535・6)
指定年月日 1977.10.04(昭和52.10.04)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-06-007[[上高津貝塚]かみたかつかいづか].txt: 上高津貝塚は、土浦市西郊外、霞ヶ浦西浦最奥部流入する桜川右岸所在する縄文時代後期から晩期集落跡である。
 遺跡は、標高2022メートル東西起る丘陵縁辺位置し、径約150メートル平坦面を囲むようにして5地点貝塚分布する明治33年1900)、表面採集資料による最初報告学界登場した昭和5年以降には、大山史前学研究所による発掘調査実施されたが、このときの出土品及び記録類第2次世界大戦戦災によって失われたその後昭和253334年慶応大学発掘調査実施されている。発掘は、貝層分布する斜面行われ平坦部の縁辺構築されたと推定される住居設けられ区域及び集落中央部については全く手つかずのままに保存されている。
 貝層は、1~1.5メートル厚さで、淡水産シジミ主体とし、ハマグリ・アサリ・カキなど海水産を含む。なお、貝層中に包含される魚骨の詳しい研究成果があり、体長復元回遊時期推定によって、魚類による漁撈期を割り出す方法示された。また貝層構成する貝の日毎生長線(日輪)の観察によって早春から初夏にかけて全体の約7割の貝の採集集中的に行われた事実明らかにした。このことから、膨大な貝の堆積をもつ集落が、日々食用のみでなく、乾貝など大量保存加工行った、いわば海産物加工場的な性格帯び内陸部への供給さえ用意されていたのではないかという仮説根拠ともされたものである
 発掘調査は、小範囲であるが、土器・石器骨角器など豊富な遺物発見されている。石斧石鏃・玉類・石棒・石剣・骨針・貝輪・骨角製垂飾品類土偶土版土製円板など種類も多い。また、貝層中の良く遺存されている魚骨類や自然遺物などは、当時食料事情生産活動及び自然環境などについての貴重な資料となるものである
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史跡:  上野国新田郡庁跡  上野城跡  上野廃寺跡  上高津貝塚  上黒岩岩陰遺跡  下之郷遺跡  下国府遺跡

上高津貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 14:48 UTC 版)

座標: 北緯36度04分37秒 東経140度09分58秒 / 北緯36.07694度 東経140.16611度 / 36.07694; 140.16611




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