一般書籍や文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 01:49 UTC 版)
万葉集には海などを表す枕詞として「いさなとり」という言葉が使われており捕鯨の意味であるという。 鎌倉時代の1277年(建治3年)の鎌倉における日蓮の書状によれば「安房の国にねすみいるかとかや魚、申し候~かの大魚鎌倉にないし 家々にあふらしほり候 香り堪え候 へきやう候はす くさく」とあり、鎌倉で房総で取れた鯨類と思われる大魚から油を絞っていて臭かったという様子が記述されている。なお、「ねすみいるか」が現在の「ネズミイルカ」と同一であるのかは判明していない。 (慶長)見聞集(寛永後期)著者は三浦浄心(1565年-1644年) - 江戸と相模国三浦の見聞集であり彼が見聞きした当時の風俗習慣や産業などについてまとめたものである。巻8に「関東海にて鯨つく事」という項があり、浄心が若い頃、関東では鯨を突くことはなかったが、文禄期(1592~1596年)に尾張から鯨の突き取り漁が伝わり、寛永期までに関東で急速に普及し鯨の数が減ったことが記されている。 倭漢三才図会略1712年(正徳2年)寺島良安著 - 江戸時代の105巻からなる百科事典であり、著者の寺島良安は医者であったとされる。この中には鯨について詳細な記述、図説がありその中で、古式捕鯨についても触れている。また「万葉集にいさなという記述があり、鯨をあらわす古語である」と説明している。鯨については身体的特徴、習性や種別による漁の難易度などと共にセミクジラやザトウクジラなど6種類紹介しており、シャチを鯱(しゃちほこ)、コククジラを小鯨(こくじら)として記述している。 「月堂見聞集」本島知辰著によれば1734年(享保19年)2月20日に下総国行徳(千葉県市川市行徳)で長さ7間(約12,7m)と5間(9,1m)の鯨2頭が捕らえられ江戸両国に運ばれ江戸初の鯨の見世物が催されたとある。また「摂陽奇観」浜松歌国著によると1766年(明和3年)2月1日紀州熊野灘で長さ7間半(約13,6m)の鯨が捕らえられ大坂千日の法善寺に運ばれ大阪初の鯨の見世物が催されたとある。
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