一つ覚え
★1.一度うまくいったことに味をしめ、別の状況下でも一度目と同じことを言ったりしたりして、失敗する。
『牛褒め』(落語) 佐兵衛が家を新築したので、与太郎が父親から褒め言葉を教わって出かけ、いろいろと褒めて、「台所の柱の節穴には秋葉神社の御札を貼れば、穴が隠れて火の用心になる」と言って、感心される。次に牛を褒め、「牛の肛門に御札を貼れば、穴が隠れて屁の用心」と言う。
『栄花物語』巻1「月の宴」 永平親王(=村上帝の八の宮)が、昌子内親王の養子になる。彼は痴者であった。昌子内親王が病気になった時、永平親王は、親代わりの済時から教えられた口上を述べて見舞った。ところが、翌年の元日の訪問の折にも、彼は前回と同じ病気見舞いの口上を繰り返したので、皆に笑われた。
『鹿の子餅』「上り兜」 愚かな息子が、5月の節句用に、美しい布切れで上り兜をこしらえて、両親からほめられる。9月の重陽の節句前になって、息子が再び何か作り出したので両親が期待していると、息子が自慢気に取り出したのは、また上り兜だった。
『狭衣物語』巻1・巻3 洞院の上は今姫君を養女にし、帝のもとへ入内させたいと願う。しかし今姫君は、歌も詠めない愚か者だった。狭衣が今姫君の部屋をはじめて訪れた折、母代(ははしろ=世話役の女)が姫君に代わって、「吉野川何かは渡る妹背山人だのめなる波の流れて」と詠んだ。4年ほど後、狭衣が再び今姫君を訪れると、今姫君は狭衣に応対できず、かつての母代の歌「吉野川・・・」を1字も違えず詠じた。
*→〔塩〕2の『イソップ寓話集』(岩波文庫版)180「塩を運ぶ驢馬」。
『源氏物語』「行幸」 末摘花は、和歌の中にしばしば「唐衣」という語を詠み込んだ。玉鬘の裳着の日、末摘花は祝いの品を贈ったが、それに添えた和歌も、「わが身こそうらみられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば」というものだった。光源氏は「またしても唐衣か」とあきれ、「唐衣また唐衣唐衣かへすがへすも唐衣なる」と返歌した。
『ジャータカ』第123話 蛇を見た愚か者が、師から「蛇とはどのようなものか?」と問われ、「鋤の柄のごときもの」と答えて大いにほめられた。以来、その愚か者は、象・氷砂糖・牛乳など、眼にし、口にしたあらゆるものを、「鋤の柄のごときもの」と言って師に報告した。
『花色木綿』(落語) 貧乏長屋の男が、店賃(たなちん)滞納の言い訳をするために、「蒲団・着物など家財道具一切を盗まれた」と、でたらめを言う。盗まれた物の詳細を家主が問うと、男は「蒲団は、表は唐草模様。裏は花色(=薄い藍色)木綿」と答え、家主はひとまず納得する。すると男は「黒羽二重(くろはぶたえ)・帷子(かたびら)・帯・刀なども盗まれた。裏はみな花色木綿だ」と言い、家主は呆れる。
『沙石集』巻2-1 在家の人が病気になった時、山寺の僧は、どんな病気に対しても「藤のこぶを煎じて飲め」と教えた。在家の人がそれを信じて飲むと、実際にあらゆる病気が治った。ある時、馬がいなくなったので、在家の人は山寺へ相談に行く。僧は例によって、「藤のこぶを煎じて飲め」と言う。在家の人は不審に思ったが、藤のこぶを捜しに山の麓まで行き、谷のほとりで、行方不明の馬を見つけた。
★4.愚か者の一つ覚えではなく、悟達の境地ゆえに、異なる問いに同じ言葉で答えるばあいがある。
『魔法修行者』(幸田露伴) 九条植通(たねみち)公は生涯『源氏物語』を愛読し、『源氏物語孟津抄』を著した。連歌師の紹巴が植通公を訪れ、「近頃何を御覧なされまする」と問うた時、公はただ一言「源氏」と答えた。続いて「めでたき歌書は何でござりましょうか」との問いにも、公は「源氏」と答え、さらに「誰が参りて御閑居を御慰め申しまするぞ」との問いにも、「源氏」と答えた。3度とも同じ返答で、紹巴は「ウヘー」と引き退った。
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