ローマ都市
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ローマ都市部分はこれまでに20%程度しか発掘されていない。典型的なローマの軍事基地の長方形の街区であり、2つの幹線道路がフォルムから延びている。ローマ都市はギリシア都市よりもかなり大きい。共和政ローマ時代にローマのカピトリヌスの丘と同様のユーピテルとユーノーとミネルウァを祀った神殿が建てられた。アウグストゥスの治世下でバシリカ(集会施設)とクリア(議事堂)が追加されている。 町の東部から大きな住居がいくつか発掘されている。中庭があり、別棟がいくつもあって、床はモザイクで壁画がある。紀元2世紀には塔のない市壁で囲まれていた。市壁の外にアンフィテアトルムとパライストラが建設されている。
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ローマ都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:45 UTC 版)
プロヴディフのローマ劇場は、ブルガリアで最も著名な古典古代の遺跡のひとつに数えられる。これは、ローマ帝国統治下の2世紀初頭に、皇帝トラヤヌスによって建造されたものである。ローマ劇場はジャンバス・テペとタクシム・テペの2つの丘のあいだに挟まれた鞍部に築かれている。客席は14列あり、直交する階段によって区切られている。この劇場の収容能力は7千人である。南側には3階建ての舞台があり、フリーズ、コーニス、像によって装飾が施されている。1968年から1984年にかけて、この劇場の調査、保存と修復が進められた。こんにちでは、ジュゼッペ・ヴェルディ・フェスティバルや国際民俗フェスティバルをはじめ多くの催しがこの舞台で開かれる。もうひとつのローマ劇場(オデオン)は2004年に修復が終わった。これは、2世紀から5世紀ごろに建てられたもので、350席を有する小さな劇場である。これは、はじめは市議会の建物として建造され、後に劇場として改修されたものである。 プロヴディフの円形競技場(Roman Stadium)は、ローマ劇場と並ぶプロヴディフのローマ時代の重要な遺跡である。円形競技場は、サハト・テペとトリフルミエ地区のあいだに位置している。競技場は2世紀に建造されたもので、デルポイの競技場に倣ったものである。ローマ時代には、3万近くの闘技が行われたとみられる。その北東の一部分、13列の客席が今日もみられるが、その他の大部分はプロヴディフのメインストリートや周囲の建物の地下に眠っている。 ローマ時代のフォルムは紀元後1世紀のウェスパシアヌスの時代に建造が始まり、2世紀に完成された。フォルムは、オデオンや現在の郵便局の近くに残されている。11ヘクタールの広さをもち、周囲を店や建物に取り囲まれ、街路が集まる古代都市の中心部であった。 エイレーネー古代遺跡群(Eirene Archaeological complex)は、トリフルミエ地区の南側から、こんにちのアルヘオロギチェスキ地下道のある古代の街路跡の北にかけての一帯を占める古代遺跡群である。ここには、3世紀から4世紀の富裕層が所有した建造物跡が残されている。 ネベト・テペには、トリフルミエ(3つの丘)地区で最古の人の居住地である、紀元前12世紀のトラキア人の都市・エウモルピアスが残されている。これはバルカン半島全土でも極めて古い人の居住跡の一つである。神殿の周囲を取り囲む巨大な壁と、宮殿が発掘されている。この要塞で最も古い部分は大きな閃長岩のブロックで建造されており、「キュクロープスの建築」と呼ばれている。
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