ローマ時代の城と重要都市として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:08 UTC 版)
「バート・ヴィンプフェン」の記事における「ローマ時代の城と重要都市として」の解説
おそらく98年、ドミティアヌス帝治下のローマ帝国は、ネッカー=オーデンヴァルト=リーメスと呼ばれる、12から15km間隔に城砦を設けるシステムを築き、南西ドイツのこの地域(デクマートラントとも呼ばれた)を防御することにした。ヤクスト川河口の対岸にヴィンプフェン(・イム・タール)城砦が築かれた。他の城砦同様、完成後すぐに民間の入植地が整備され、特に商人や職人が入植した。 皇帝アントニヌス・ピウスの時代、おそらく159年に、帝国の国境であるリーメスがヤクストハウゼンに移された後は、この城砦は軍事的意味を失った。 ローマ時代のヴィンプフェン・イム・タールは、民間都市として重要であった。この町は、Civitas Alisinensium というローマの行政管理主要都市であり、今日の南ドイツに当たる地域では数少ない、市壁と堀をもつローマ都市の一つであった。また、壁で囲まれた土地は約19haで、今日のバーデン=ヴュルテンベルク州で最大のローマ都市であった。こうした重要性にもかかわらず、ヴィンプフェンのラテン名は今日では不明である。 さらに、ここにはネッカー川に木製の橋が架かっていたのだが、中世の初めに春先に割れた氷で破壊された。町が密集しているネッカー渓谷のネッカー川に架かる橋は今日でも重要な交通の要衝となっている。
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