モンロー‐しゅぎ【モンロー主義】
モンロー主義
- 女学生間で『自分勝手な人』の意味に用ふ。即ち自国のことは自国でする他の干渉はいらぬといふ米国のモンロー主義から来たもの。〔学生〕
- 女学生間で「自分勝手な人」の意味に用ふ。即ち、自国のことは自国でする、他の干渉はいらぬといふ。米国のモンロー主義から来たものである。
分類 学生
モンロー主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 21:59 UTC 版)
モンロー主義(モンローしゅぎ、英: Monroe Doctrine)は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。
- ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日) 2020年12月2日閲覧。
- ^ 高橋均『ラテンアメリカの歴史』山川出版社
- ^ “米国トランプ氏「グローバリズムを拒絶」国連演説で強調”. 毎日新聞 (2018年9月26日). 2019年5月31日閲覧。
- ^ “John Bolton: 'We're not afraid to use the word Monroe Doctrine'”. Washington Examiner (2019年3月3日). 2019年5月31日閲覧。
- ^ “John Bolton and the Monroe Doctrine”. エコノミスト (2019年5月11日). 2019年5月31日閲覧。
- ^ “John Bolton Reaffirms America’s Commitment to the Monroe Doctrine With New Sanctions”. オブザーバー (2019年4月17日). 2019年5月31日閲覧。
- ^ “国連安保理が緊急会合 ベネズエラ情勢、米ロが批判合戦”. 朝日新聞 (2019年1月27日). 2019年5月31日閲覧。
- 1 モンロー主義とは
- 2 モンロー主義の概要
- 3 年次教書の概説
- 4 冷戦後のモンロー主義
モンロー主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 08:10 UTC 版)
「ジェームズ・モンロー」の記事における「モンロー主義」の解説
詳細は「モンロー主義」を参照 ナポレオン戦争が1815年に終わった後は、ラテンアメリカ各地でスペインあるいはポルトガルの支配に対して革命が起こり、独立を宣言していた。アメリカ人はこの展開を共和制精神が実証されたこととして歓迎した。1819年にフロリダの領有が確保されるまで、アダムズはこの見解を公式に認めることを遅らせた。ロシアが北緯51度線まで北アメリカ太平洋岸の領有権を主張し、同時にヨーロッパ諸国がラテンアメリカ諸国を植民地状態に戻す圧力をかけたことで、帝国主義の侵略による脅威が強くなっていった。 1822年3月、モンローは連邦議会に対し、ラプラタ連合州(今日のアルゼンチン)、チリ、ペルー、コロンビア、およびメキシコに安定した恒久的政権が樹立されたことを告げた。アダムズはモンローの監督下でこれら新興国に派遣した公使(大使)に宛てて指示書を書いた。それは各国の共和制を支持し、最恵国待遇で通商を行う条約締結を求めるアメリカ合衆国の政策を宣言していた。アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国のものとは基本的に異なる経済と政治制度の発展のためにアメリカ大陸にまたがる会議体を支援するとしていた。ヨーロッパとははっきり異なる「アメリカン・システム」という基調はラテンアメリカに対するモンローの政策の基本信条だった。アメリカ合衆国が各国を最初に認知し、「自由と人道主義」を支持していることで世界の他の地域に対し規範を示したことを誇っていた。 1823年12月2日、議会における教書演説では、後にモンロー主義と呼ばれることになるものを正式に表明した。モンローは、南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に植民地化されず、主権国家の国内事情にヨーロッパ諸国から干渉されないことを宣言した。さらにアメリカ合衆国がヨーロッパでの戦争、およびヨーロッパ列強と植民地間の戦争について中立を保つ意思があるが、新しく植民地を作ることあるいはアメリカ大陸の独立国家に干渉することはアメリカ合衆国に対する敵対行為であると考える事も声明した。 これは歴史におけるモンローの最も有名な業績であるが、原稿はイギリスとの協調原則を考案した国務長官ジョン・クィンシー・アダムズによって起草された。モンローとアダムズはアメリカが新興国を認知することが軍事的な干渉とスペインの権力を復活させることから各国を守るものではないと認識していた。1823年10月、在イギリスアメリカ合衆国特命全権公使リチャード・ラッシュがイギリスの外務大臣ジョージ・カニングはアメリカとイギリスが共同でヨーロッパの干渉に対する反対を宣言することを提案していると忠告した。イギリスはその強力な海軍力でラテンアメリカの再征服にも反対し、アメリカ合衆国には「不干渉」政策の宣言に加わるよう提案した。イギリスの主導権に触発されてモンローはアメリカの指導者達と相談し、続いてモンローとアダムズが計画を立てた。元大統領のジェファーゾンやマディソンはモンローに提案を受けるよう助言したが、アダムズは「イギリスのマン・オブ・ウォー(戦艦)の後に続く小船として現れるよりも、率直にロシアやフランスに対して我々の原則を表明するのがより腹蔵の無いものになる」と助言した。モンローはアダムズの助言を容れた。ラテンアメリカだけではなく、ロシアも太平洋岸を南進すべきではないとされた。「アメリカ大陸は各国が採用し維持している自由と独立した状態によって、如何なるヨーロッパ列強によっても将来的に植民地化されるような対象とは考えられるべきではない」と述べた。 1823年、モンロー主義は南アメリカの元スペイン植民地に対するよりも、北アメリカにおけるロシア人に対して強く向けられた。その結果はイギリス海軍の支援の下にアメリカ孤立主義となった。モンロー主義は、「西半球はもはやヨーロッパの植民地の対象ではない」とするアメリカ合衆国の考えを示した。この半球で今後政治的支配をしようとすることや、既に存在する国家の独立を侵すことは敵対行動と見なし、世界には2つの異なる両立しない政治制度が存在することになった。これによってアメリカ合衆国はヨーロッパの事情に干渉しないこととし、ヨーロッパ諸国にはアメリカ大陸の事情に干渉しないことを要求した。この先、ヨーロッパからの重大な干渉はほとんど無くなった。
※この「モンロー主義」の解説は、「ジェームズ・モンロー」の解説の一部です。
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