ボストン‐マラソン【Boston marathon】
ボストンマラソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 06:06 UTC 版)
ボストンマラソン(英語: Boston Marathon)は、毎年4月の第3月曜日(愛国者の日)にアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで開催される、ワールドアスレティックスエリートプラチナラベルのマラソン大会であり、ワールドマラソンメジャーズの一つである。参加には資格タイムを満たしている必要があるため、「選ばれしもののマラソン」と称され、完走者の平均タイムがワールドマラソンメジャーズの中でも抜きん出て速く、大半が4時間未満でゴールする。1897年に創始された、近代オリンピックに次いで歴史の古いスポーツ大会の一つである。但し、2021年度は新型コロナウイルス感染拡大の為に10月11日に延期された[1]。
- ^ https://sports.yahoo.com/2021-boston-marathon-postponed-usual-182343827.html
- ^ a b http://www.baa.org/races/boston-marathon/boston-marathon-history.aspx
- ^ http://www.baa.org/races/boston-marathon/event-information/course-map.aspx
- ^ a b c d http://www.baa.org/races/boston-marathon/participant-information/qualifying.aspx
- ^ http://www.baa.org/news-and-press/news-listing/2014/september/2015-boston-marathon-qualifier-acceptances.aspx
- ^ http://www.baa.org/news-and-press/news-listing/2014/july/boston-marathon-raises-historic-amounts-for-local-non-profits.aspx
- ^ a b “川内優輝 ボストンV “市民ランナー”が世界の頂点に 最高峰WMM日本人初”. デイリースポーツ. (2018年4月18日) 2018年4月29日閲覧。
- ^ a b “75歳・君原さん「私も年を取ったな」 4時間台で完走”. 朝日新聞. (2016年4月19日) 2016年5月4日閲覧。
- ^ 『サンケイグラフ』1955年5月8日号、産業経済新聞社。
- ^ 「ボストンマラソン 日本、四位まで独占」 『中日新聞』1966年4月20日付夕刊、D版、1面。
- ^ 『いのちもやして、たたけよ。: 鼓童30年の軌跡』p189鼓童文化財団、出版文化社, 2011
- ^ 50年前の雄姿再び=ボストン優勝の重松さん―マラソン - Runnet(2015年4月20日、元記事は時事通信)
- ^ 君原健二さん半世紀ぶり完走「変わらぬ喜び」<陸上:ボストン・マラソン> - 日刊スポーツ(2016年4月19日記事)
- ^ 君原健二さん、半世紀ぶりにボストン・マラソン挑戦 - 日刊スポーツ(2016年3月30日記事)
- ^ 田中だけは公式記録に出身地まで記載されている
- ^ a b c 宇佐美彰朗『女子マラソン どうして強くなったのか』筑摩書房、1996年、p22 - 23
- ^ Rosie Ruiz Wins the Boston Marathon
- ^ 冠大会に不況の風 スポンサーの降板目立つ 代役が見つからない例も 朝日新聞 1992年11月16日 夕刊3ページ
- ^ "大谷翔平、吉田正尚と注目の初対決 18日午前0時10分開始、ボストンマラソンで異例時間に". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 17 April 2023. 2023年4月17日閲覧。
- ^ http://webhost.bridgew.edu/jhuber/readings/boston_the_100th_marathon.html
ボストンマラソン
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「ロージー・ルイーズ」の記事における「ボストンマラソン」の解説
1980年4月21日、ルイーズは2時間31分56秒の記録でボストンマラソン女子の部のゴールテープを切った。この記録は、前年にジョーン・ベノイトが出していたボストンマラソン女子記録(2時間35分15秒)を大きく上回るもので、しかも当時の女子マラソン史上で歴代3位に入るものであった。 しかし、ルイーズの「優勝」には当初から疑惑がつきまとっていた。同じボストンマラソンで1978年から3年連続男子の部で優勝し、通算では4回の優勝を果たしているビル・ロジャーズ(en:Bill Rodgers (athlete))は、ルイーズの姿をレース中にどの場面でも見かけた記憶がないと述べた。ロジャーズによると、レース終了後に彼が「君のスプリットタイムは?」と尋ねたのに対して「スプリットタイムって?」と逆に質問が返ってきたという。他の証言者も、ゴール時の彼女の様子について、マラソンレースの長い距離を走り抜いたにしては息切れもせず汗まみれになってもいなかったし、このような世界レベルの記録を出すマラソン競技者としては大腿部の筋肉に締まりがなさ過ぎると指摘した。ルイーズは後に心拍数の検査を受けた。その結果、安静時の心拍数は76で、殆どの女子マラソン選手が示す安静時心拍数50台からそれ以下の数値とは大きく隔たっていた。 それに、18ヶ月前にマラソンを始めたばかりのルイーズが、初マラソンだったニューヨークシティマラソンからわずか半年の期間で、25分近い記録の短縮を見せたのも異例のことだった。厳しいレースの後だったのに、ルイーズには疲れた様子が見えなかった。記者の質問に対しては、「今朝起きるのに、一杯気力を使ったわ」と答えた。 何より重大なことに、レースを走るルイーズを見かけた覚えのある人間はいなかった。ルイーズの失格後に真の優勝者として認められたカナダのジャクリーヌ・ガローは、自分がずっと女子選手の1位で走っていると考えていた。マラソンコースの全チェックポイントにいた監視員たちも、ルイーズが女子1位の選手として通過したのを記憶しておらず、その上、レース中のルイーズの姿は、写真やビデオ映像にも、コース最後の半マイル 部分を除いて一切記録されていなかった。 ルイーズにとって決定的な証拠になったのは、ゴールまで残り800mの地点で沿道にいた大観衆の中から彼女が飛び出して走り出したのを目撃したという、ハーバード大学の学生2名の証言だった。その後間もなく、ルイーズが最初に参加したニューヨークシティマラソンにおいても、地下鉄に乗っているルイーズ本人と乗り合わせた女性写真家スーザン・モロー(Susan Morrow)の証言が得られた。モローはニューヨークシティマラソンの終了後にルイーズとの接触ができなくなっていたが、ボストンマラソンにかかわる疑惑と優勝剥奪のニュースを知って証言を決意したのだった。モローによると、負傷してリタイアした参加者だと名乗るルイーズと地下鉄の車内で出会った後に、2人で一緒にマラソンのゴール地点付近まで歩いたとのことだった。ルイーズは救護所まで送られた後、レースの運営ボランティアが彼女を完走者と誤認したためにボストンマラソンへの参加資格を得てしまったのだった。ニューヨークシティマラソンの実行委員会はこの事態について独自に調査を始めたが、ルイーズがゴール地点近くに辿りついた証拠は発見できなかった。このことや他の証拠に基づいて、ニューヨークシティマラソンの創設者で当時も実行委員長を務めていたフレッド・ルボー(英語版)は、ルイーズが1979年のレースで完走しなかったものとして失格を宣言した。 同じ週に、ボストンの陸上競技協会もルイーズを失格扱いにした。その結果、ジャクリーヌ・ガローが当時のボストンマラソンで女子の部最高記録となる2時間34分28秒で優勝者と認められ、アメリカのパティ・カタラーノ(en:Patti Catalano) が2時間35分8秒の当時のアメリカ女子マラソン選手の最高記録で2位に繰り上がることになった。 真の優勝者となったガローの表彰式は、ボストンマラソンが終了した後、1週間以上経ってから行われた。ガローは20ヤード の距離をジョギングした後、ゴールテープを切った。ガローに授与された優勝メダルは、ルイーズに与えられたメダルよりも一回り大きく、男子選手に授与されるメダルと同じサイズであった。なお、ガローは2005年に実施されたボストンマラソンにおいてレースの名誉勝者にあたる「グランド・マーシャル」に選ばれ、記念式典でゴールテープを切ることを許可されている。
※この「ボストンマラソン」の解説は、「ロージー・ルイーズ」の解説の一部です。
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