ドーリア式神殿の完成と衰退
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「ギリシア建築」の記事における「ドーリア式神殿の完成と衰退」の解説
厳格様式時代にあたる紀元前5世紀の初期から中期にかけて、ドーリア式は特有の堅牢さ、重厚さを持つ神殿建築を確立した。アイギーナのアテーナー・アパイアー神殿や、建築家リボンとペイディアスによるオリンピアのゼウス神殿はその典型的な例で、最終的にアテナイのアテーナー・パルティノス神殿(パルテノーン)において、まさに完成された姿となった。しかし、ドーリア式建築の隆盛は長く続くことはなく、続く紀元前4世紀になると、ドーリア式はその厳格さによって早くも廃れていった。 アイギーナは、ファレロン湾に浮かぶ小さな島のひとつであるが、紀元前6世紀にはエーゲ海の基軸通貨としてアイギーナ貨幣が流通するなど、紀元前5世紀中期まで、アテナイを抑えるほどの勢力を誇った有力な海洋交易国家であった。島の東端にある女神アパイアーの神殿は、紀元前5世紀初期に建設された、全幅13.5m、側面長さ28.5mの神殿である。保存状態が良く、青みがかった地元の多孔質石灰石を構造体とし、その上に白い漆喰を塗っているのが現在でも確認できる。扁平でやや大きなエキヌスを持つ円柱の意匠は、アルカイク時代の形態をある程度保持しているが、平面はプロナオスとオピストドモスを持つ古典時代特有の形式で、このため、わずか幅6.3mの内陣を、2層のドーリア式円柱で3廊に分けている。 聖地オリンピアの主神殿となるゼウス神殿は、紀元前470年から紀元前460年に建設されたものである。現在はほとんど残っていないが、構造体は地元の石灰岩を整形したもので、表面には白い漆喰が塗られ、全体の色彩は乳白色であったが、トライグリフやペディメントなどは鮮やかに彩色されていた。これらの措置はアパイアー神殿と同様である。3廊に分割された神殿内部には、ペイディアスが作成し、世界の七不思議にも数えられるゼウスの黄金象牙像が、かなり窮屈に収められていた。これは、建築家リボンが神殿に厳格なモデュールを適用していたため、座像に合わせて内部を作り替えることが難しかったことによる。ゼウス神殿以後の時代に建設されたドーリア式には、必ず厳格なモデュールが適用されているが、この流れはゼウス神殿が起点となったものである。 ペイディアスとイクティノスによるアテナイのアテーナー・パルティノス大神殿(パルテノーン)は、ドーリア式神殿の、そしてギリシア建築の最高傑作と言える作品である。また、ひとつの神殿のなかにドーリア式とイオニア式を混淆したという点でも特筆に値する。パルテノーンは、ペルシア戦争によってアテナイが灰燼に帰した後、キモンによるアクロポリスの再建時に、建築家カリクラテスによって着手された。紀元前447年に、神殿の造営がペイディアスとイクティノスに継承されたとき、パルテノーンは再建の真っただ中にあり、柱などの建築資材のいくつかはすでに構築されていたが、この神殿の計画は旧神殿の平面を踏襲したものであったため、ペイディアスが作成する女神アテーナーの黄金象牙像を安置する空間を確保できなかった。イクティノスは計画を変更して平面を拡大せざるを得ず、すでに整形された柱から、新たに全体のモデュールを構築しなおさなければならなかった。このように、神殿の設計は難しいものであったが、パルテノーンは伝統的規範を墨守し、かつ、厳格な比例関係を保つように再構築された。このように、神殿の構成はドーリア式特有の厳格なものであるが、内陣は女神アテーナーにふさわしい、優雅な2層構成のドーリア式円柱にイオニア式フリーズを組み合わせたもので、外部も古典期の傑作と言われる多くの彫刻(いわゆるエルギン・マーブル)によって飾りたてられた。これらの造営資金は、デロス同盟で各地のポリスから収集された対ペルシア戦用の軍資金を流用したものであり、現在アテネ帝国とも呼ばれるアテナイ最盛期の栄華を物語っている。 アテナイのヘーパイストス神殿(テセイオーン)、スニオン岬のポセイドーン神殿、ラムヌスのネメシス神殿は、明らかにパルテノーンを規範とした建築である。パルテノーンで確立されたドーリア式は、独自の建築活動を行っていたイタリア南部にまで影響を及ぼし、パエストゥムの最後の神殿となるヘーラー第2神殿は、古典時代の規則がすべて重んじられたつくりになっている。しかし、ドーリア式は外部の比例と内陣の比例を秩序立てて構成することが非常に困難だったため、やがて外部と内部の相互関係は破条することになる。バッサイのアポローン神殿や建築家スコパスによるテゲアのアテーナー・アレア神殿では、もはや外部と内陣との間にはなんらの連携もなく、やがて、ドーリア式には美学的に重大な欠陥ありとして、衰退することになるのである。
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