ドーリア式神殿の完成と衰退とは? わかりやすく解説

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ドーリア式神殿の完成と衰退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 03:23 UTC 版)

ギリシア建築」の記事における「ドーリア式神殿の完成と衰退」の解説

厳格様式時代にあたる紀元前5世紀初期から中期にかけて、ドーリア式特有の堅牢さ、重厚さを持つ神殿建築確立したアイギーナのアテーナー・アパイアー神殿や、建築家リボンペイディアスによるオリンピアゼウス神殿はその典型的な例で、最終的にアテナイのアテーナー・パルティノス神殿(パルテノーン)において、まさに完成された姿となった。しかし、ドーリア式建築隆盛長く続くことはなく、続く紀元前4世紀になると、ドーリア式はその厳格さによって早くも廃れていった。 アイギーナは、ファレロン湾に浮かぶ小さな島のひとつであるが、紀元前6世紀にはエーゲ海基軸通貨としてアイギーナ貨幣流通するなど、紀元前5世紀中期まで、アテナイ抑えるほどの勢力誇った有力な海洋交易国家であった。島の東端にある女神アパイアー神殿は、紀元前5世紀初期建設された、全幅13.5m、側面長さ28.5mの神殿である。保存状態良く青みがかった地元多孔質石灰石構造体とし、その上に白い漆喰塗っているのが現在でも確認できる扁平でやや大きなエキヌスを持つ円柱意匠は、アルカイク時代形態ある程度保持しているが、平面はプロナオスとオピストドモスを持つ古典時代特有の形式で、このため、わずか幅6.3mの内陣を、2層ドーリア式円柱で3廊に分けている。 聖地オリンピア主神殿となるゼウス神殿は、紀元前470年から紀元前460年建設されたものである。現在はほとんど残っていないが、構造体地元石灰岩整形したもので、表面には白い漆喰塗られ全体色彩乳白色であったが、トライグリフやペディメントなどは鮮やかに彩色されていた。これらの措置アパイアー神殿と同様である。3廊に分割され神殿内部には、ペイディアス作成し世界の七不思議にも数えられるゼウス黄金象牙像が、かなり窮屈に収められていた。これは、建築家リボン神殿厳格なモデュール適用していたため、座像合わせて内部作り替えることが難しかったことによるゼウス神殿以後時代建設されドーリア式には、必ず厳格なモデュール適用されているが、この流れゼウス神殿起点となったのであるペイディアスイクティノスによるアテナイのアテーナー・パルティノス大神殿(パルテノーン)は、ドーリア式神殿の、そしてギリシア建築最高傑作と言える作品である。また、ひとつの神殿のなかにドーリア式イオニア式混淆したという点でも特筆値する。パルテノーンは、ペルシア戦争によってアテナイ灰燼に帰した後、キモンによるアクロポリス再建時に建築家カリクラテスによって着手された。紀元前447年に、神殿造営ペイディアスイクティノス継承されたとき、パルテノーンは再建真っただ中にあり、などの建築資材いくつかはすでに構築されていたが、この神殿計画旧神殿の平面踏襲したものであったため、ペイディアス作成する女神アテーナー黄金象牙像を安置する空間確保できなかった。イクティノス計画変更して平面拡大せざるを得ず、すでに整形されから、新たに全体モデュール構築しおさなければならなかった。このように神殿設計難しいものであったが、パルテノーンは伝統的規範墨守し、かつ、厳格な比例関係を保つように再構築された。このように神殿構成ドーリア式特有の厳格なのであるが、内陣女神アテーナーにふさわしい、優雅な2層構成ドーリア式円柱イオニア式フリーズ組み合わせたもので、外部古典期傑作と言われる多く彫刻いわゆるエルギン・マーブル)によって飾りたてられた。これらの造営資金は、デロス同盟各地ポリスから収集された対ペルシア戦用の軍資金流用したものであり、現在アテネ帝国とも呼ばれるアテナイ最盛期栄華物語っている。 アテナイヘーパイストス神殿(テセイオーン)、スニオン岬ポセイドーン神殿ラムヌスネメシス神殿は、明らかにパルテノーンを規範とした建築である。パルテノーンで確立されドーリア式は、独自の建築活動行っていたイタリア南部にまで影響及ぼしパエストゥム最後の神殿となるヘーラー第2神殿は、古典時代規則がすべて重んじられたつくりになっている。しかし、ドーリア式外部比例内陣比例秩序立て構成することが非常に困難だったため、やがて外部と内部相互関係は破条することになる。バッサイアポローン神殿建築家スコパスによるテゲアのアテーナー・アレア神殿では、もはや外部内陣との間にはなんらの連携もなく、やがて、ドーリア式には美学的に重大な欠陥ありとして、衰退することになるのである

※この「ドーリア式神殿の完成と衰退」の解説は、「ギリシア建築」の解説の一部です。
「ドーリア式神殿の完成と衰退」を含む「ギリシア建築」の記事については、「ギリシア建築」の概要を参照ください。

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