対ペルシア戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 09:46 UTC 版)
紀元前477年に将軍に任命されたキモンはアリステイデスとともにビュザンティオンから僭主的で横暴な振る舞いをしていたスパルタの将軍パウサニアスを追い出し、続いてデロス同盟軍を率いてペルシアと戦い、紀元前463年までデロス同盟のほとんどの作戦を主導した。紀元前475年に彼はエイオンを落とし(エイオン包囲戦)、続いて反抗的な態度をとっていたドロペス人の住むスキュロス島を攻略し、島から彼らを追い出した。そして帰国に際して彼はギリシア神話の英雄テーセウスの骨をアテナイに持ち帰り、三つのヘルマ像がアテナイの周りに建てられたという。紀元前469年または紀元前466年にはパンヒュリアのエウリュメドン川の戦いでペルシア軍の陸海軍に対して圧勝し、その時にファセリスなど多くの市がデロス同盟に加入した。
※この「対ペルシア戦」の解説は、「キモン」の解説の一部です。
「対ペルシア戦」を含む「キモン」の記事については、「キモン」の概要を参照ください。
- 対ペルシア戦のページへのリンク