ストア論理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
ギリシア論理学の他の大きな学派としてはストア派がある。ソクラテスの弟子でプラトンよりわずかに年長の紀元前5世紀後半の哲学者メガラのエウクレイデスがストア論理学の起源である。エウクレイデスの弟子・継承者はメガラ学派あるいは論争者と呼ばれ、後には弁証学派とも呼ばれた。メガラ学派の中でも最も重要な弁証家としてディオドロス・クロノスとメガラのフィロンがおり、彼らは紀元前4世紀後半に活動した。ストア派はメガラ派の論理学を取り入れてこれを体系化した。ストア論理学で最も重要な人物はストア派三代目学頭ソロイのクリュシッポス(紀元前278年頃-紀元前206年頃)であり、彼はストア派の教義の多くを形式論理学的に表現した。彼は700以上の著作を著したとされ、そのうち論理学関係の著書は300を超えているが、そのほとんどが現存しない。アリストテレスと違って、メガラ派や初期ストア派の著作は完全な形では残っておらず、彼らについて知るには主にディオゲネス・ラエルティオス、セクストス・エンペイリコス、ガレノス、アウルス・ゲッリウス、キケロといった(時に敵意のある)後代の文献による説明に大きく依拠する必要がある。 ストア派の三つの重要な業績は(i) 様相の説明、(ii) 論理包含の理論、そして (iii) 意味(英語版)と真理の説明である。 様相。アリストテレスによると、当時のメガラ学派は可能態と現実態の区別など存在しないと主張した。ディオドロス・クロノスは可能なものとは現在存在するもの又は未来に存在するだろうものだと定義し、不可能なものとは未来に真でないだろうものだと定義し、不定のものとはすでにそうであるものか又は未来に偽であるだろうものだと定義した。ディオドロスは、「過去に存在したものの全ては真かつ必然である」、「不可能なものは可能なものから生まれえない」、「現在存在しないし未来も存在しないだろうものは可能である」の三命題は定立しえない、といういわゆるマスター・アーギュメントでも有名である。ディオドロスはこの三命題のうち前二者に尤もらしさを用いて、現在存在しないし未来も存在しないだろうものは不可能であると証明した。対照的にクリュシッポスは第二の前提を否定して、不可能なものは可能なものから生まれうると述べた。 論理包含。条件文について議論した最初の論理学者はディオドロスと彼の弟子メガラのフィロンである。セクストス・エンペイリコスはディオソロスとフィロンの議論に三度言及している。真なる条件文とは真で始まって偽で終わることのないものであるとフィロンは主張した。例えば「今が日中ならば私は話をしている」といったように。しかし、真なる条件文とは真で始まって偽で終わることの決してないものである―それゆえ今述べた条件文はもし今が日中でありなおかつ私が黙り込むと偽になるとディオドロスは主張した。フィロンの真偽の基準は「if ... then」の今日真理函数の定義とされているものと同じである。セクストスは二度目に言及した際に「彼によれば条件文が真になる方法は三通りあり、偽になる方法は一つだけある」と述べている。 意味と真理。メガラ-ストア論理学とアリストテレス論理学の最も重要で著しい違いは前者が名辞ではなく命題を考慮し、そのため近代的な命題論理に近いことである。ストア派は、おそらく雑音である発話(phone)、明瞭に発音しているが無意味な演説(lexis)、意味のある発話である談話(logos)を区別した。彼らの理論のうちもっとも独創的な部分は「レクトン」と呼ばれている、文で表現されるものは実在するものだという説である。これは今日「命題」と呼ばれるものに一致する。ストア派によれば意味するもの、意味されるもの、対象の三者は互いに結びついているとセクストスは述べている。例えば意味するものは「ディオン」という言葉、意味される者はギリシア人が理解するが外人は理解しないもの、対象はディオン自体である。
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