コンピュータ利用形態の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 09:01 UTC 版)
「計算機の歴史 (1960年代以降)」の記事における「コンピュータ利用形態の変化」の解説
1970年代にマイクロプロセッサが登場する以前、コンピュータは一般に大きく高価なシステムであり、企業・大学・政府機関などの大きな組織が所有する設備だった。ユーザーは経験を積んだ専門家であり、一般にコンピュータそのものに触れることはなく、キーパンチなどのオフラインの装置でタスクを準備した。そのようなタスクを集め、バッチモードで処理した。ジョブが完了すると、ユーザーは出力であるプリントアウトとパンチカードを渡される。計算センターにジョブを依頼してから出力結果が得られるまで、組織にもよるが、数時間から数日かかった。 より対話的なコンピュータ利用が商業的に行われるようになったのは、1960年代中ごろである。タイムシェアリングシステム (TSS) は、複数の端末を通して、多くの人々がメインフレームを共有し、同時に利用する形態である。このような形態はビジネスでも、科学技術計算でも採用された。 もう1つの新たなコンピュータ利用は、初期の実験的なコンピュータで1人のユーザーがプロセッサを占有して利用していた形態への回帰でもある。「パーソナル(個人的)」と呼べる最初のコンピュータは初期のミニコンピュータであり、LINCやPDP-8が挙げられる。その後ディジタル・イクイップメント・コーポレーション (DEC) のVAXなど、データゼネラルやプライムコンピュータ(英語版)のミニコンピュータが続いた。一部のミニコンピュータはメインフレームの周辺プロセッサが起源であり、周辺機器を制御する決まった仕事を受け持ち、主プロセッサが計算に専念できるようにしていた。2012年時点の基準から言えば、ミニコンピュータは大きく(冷蔵庫程度の大きさ)、高価で(1万ドル以上)、個人が購入して利用するようなものではないが、当時のメインフレームに比較すれば小さく安価で運用も容易だった。そのため、小さい研究室や研究プロジェクトでも購入可能だった。ミニコンピュータは、バッチ処理と計算センターの官僚体制からの解放をもたらした。 1973年、ドン・ランカスターが電子工作ホビースト向けに設計したTVタイプライターは、通常のテレビに文字情報を表示する装置である。『ラジオ=エレクトロニクス』誌1973年9月号に概要が掲載されたもので、総額120ドルの電子部品で組み立てることができる。当初の設計には2枚のメモリ基板が含まれており、16行×32文字で512文字ぶんの情報を生成・格納できる。その設計は、テレビ信号を生成するのに必要な最小限のハードウェアのみで構成されている。この考え方は後にクライブ・シンクレアがZX80を設計する際にも採用している。また、TVタイプライターは、Mark-8や Altair 8800 といったマイクロコンピュータキットが生まれる素地を作った。 さらにミニコンピュータはメインフレームよりも対話的であり、間もなく独自のオペレーティングシステムも登場した。ミニコンピュータ Xerox Alto (1973) は、パーソナルコンピュータへの重要な一歩となった。ビットマップ式の高解像度表示でグラフィカルユーザインタフェース (GUI) を採用し、大容量の記憶装置、マウス、専用ソフトウェアなどを備えていた。
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