コルヌマン夫人を巡ってとは? わかりやすく解説

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コルヌマン夫人を巡って

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:29 UTC 版)

カロン・ド・ボーマルシェ」の記事における「コルヌマン夫人を巡って」の解説

1781年10月ボーマルシェはあるナッサウ大公妃邸宅大勢の人とともに食事招かれ、その席である女性の話を耳にした。その女性は夫にひどい扱い受けており、邸宅監禁されているという。大公夫妻この女性を自由の身にしてやりたい考えていたため、ボーマルシェ協力するように求めたが、これまで行動起こすたびにトラブルになってきたことを理由に、初め消極であった。しかし、その女性の夫が出した手紙を読むうちに次第態度変え女性救出協力するになったようだ。 この女性は、名をコルヌマン夫人という。スイス生まれたが、13歳両親失った15歳の時、親族勧め従い持参金36リーヴル携えて銀行家であるコルヌマンと結婚した次第にドーデ・ド・ジョサンという男を愛人にするようになったが、これは彼女自身浮気心からではなく、コルヌマン自身そそのかしたのであるドーデの裏には軍事大臣モンバレー公爵がいることを知り、彼を通じて軍事大臣取り入って私腹を肥やそうとしていたのだ。この試み見事に成功したが、1780年12月軍事大臣交代すると、ドーデ利用価値無くなったために彼を切り捨てた。その一方で銀行業赤字解消しよう夫人持参金を寄越すように迫ったが、拒否されたため、国王封印状を手に入れて身重夫人牢獄へぶち込んだであった。 早速救出乗り出したボーマルシェは、ヴェルサイユに赴き、ナッサウ大公夫妻とともに手分けをして関係者働きかけた。その結果12月17日付で夫人産科医の家に移して看護せよとの王の命令書を獲得した。こうして夫人産科医のもとで出産済ませ、コルヌマンの手届かないところで法による庇護を受けることができた。離婚許されない時代であったから、コルヌマンは和解しようと考えたようだが、うまくいかず、結局別居状態のまま数年間が経過した。 それから5年以上が経過した1787年2月、突然この件に関するコルヌマン夫人ナッサウ大公夫妻、ドーデ・ド・ジョサン、警察長ルノワールボーマルシェの5人を標的とした中傷文書パリ大量にばらまかれた。この文書には「コルヌマン」と署名入っていたが、実際それほど頭の切れる男ではなかったようだから、このような思い切った真似出来なかったろうし、思いついたのもまた彼ではないだろう。この文書手掛けたのは、弁護士のベルガスという男であった。この弁護士売名しか頭にない悪徳弁護士で、生涯にわたって中傷名誉棄損裁判引き起こし続けた弁護士というよりデマゴーグというほうがふさわしい輩である。たまたまコルヌマンと出会ったベルガスは、コルヌマンの抱えるこの問題絶好機会捉えたようで、彼の顧問弁護士となって、この一件散々脚色加えて文書発表したであった。ベルガスが特に標的としたのは、ボーマルシェ栄光ミラボー伯爵との論争見せた弱腰であった。コルヌマンを妻に裏切られ哀れな夫に仕立て上げ、妻を救出した者たちを極悪非道な人間として描く。これを世に広めるためには人目惹く必要があるが、そのためにボーマルシェ徹底的に叩いたのである。 これに対抗するために、ボーマルシェ反論文書発表した。コルヌマン夫人救出した事実認めた上で、彼女がいかに夫から虐待されていたか、コルヌマンがいかに暴虐非道な男であるかを、その証拠となる手紙とともに論理的に示した。この論理的な反論には何も返答できない考えたのか、この後のベルガスの攻撃もっぱらボーマルシェへの中傷絞られることになった。ベルガスのしつこさは相当なもので、この問題起こってから1年半の間に200上の中傷文書ばらまかれている。ボーマルシェ決し黙っていたわけではなかった。コルヌマンとベルガスを名誉棄損訴え出るとともに複数反論文書の公開対抗しようとしたのだが、市民たちはベルガスにこそ正義があると信じ込んでいたため、大した効果挙げなかった。裁判ではボーマルシェ勝訴したが、ベルガスによる中傷攻撃失った人気回復しなかった。

※この「コルヌマン夫人を巡って」の解説は、「カロン・ド・ボーマルシェ」の解説の一部です。
「コルヌマン夫人を巡って」を含む「カロン・ド・ボーマルシェ」の記事については、「カロン・ド・ボーマルシェ」の概要を参照ください。

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