クライド・トンボー
冥王星を発見したアメリカの天文学者
冥王星の発見者であるトンボー(1906〜1997)は、アメリカ・イリノイ州生まれの天文学者です。家が貧しくて大学に行けませんでしたが、天文学に深く魅了され、父の農場に放置してあった古い機械の部品で22.5センチの望遠鏡をつくって天体観測をしました。その後、1929年にローウェル天文台に助手の仕事をみつけ、スライフゼの指導のもとにローウェルの惑星Xといわれた、海王星の外側の惑星の探求を続けました。
地味な作業の繰り返しで、1930年に新惑星を発見
新しい惑星は、望遠鏡で発見するには暗すぎ、何千もの暗い星をチェックしなければなりません。また、距離が地球から遠いので視覚的な動きはごくわずかでした。そこでトンボーは、異なった日に同じ空を撮った2枚の写真を比較することを考案。それぞれの写真には5万個から50万個の星が写ることが予想されましたが、トンボーは、予測される星やすでに知られている惑星の動き以外で、光が動いた点がないかどうかを探したのです。どんな動きでも、1点に焦点を合わせて2枚の感光板をスクリーンの上に素早くかわるがわるに映せば発見できるはずですし、星を背景として動いている惑星は、スクリーンの上でいったり来たりして見えるはずです。作業はたいへん骨の折れるものでしたが、1930年、トンボーはついにふたご座の中に動いている光を発見します。こうして3月13日に新しい惑星の発見が発表され、地獄の暗闇の神の名がつけられた新惑星が冥王星なのです。
クライド・トンボー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 07:40 UTC 版)
クライド・トンボー | |
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生誕 | 1906年2月4日 アメリカ合衆国 イリノイ州 ラサール郡 ストリーター |
死没 | 1997年1月17日(90歳没) アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 ラスクルーセス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 天文学 |
研究機関 | ローウェル天文台 |
出身校 | カンザス大学 |
主な業績 | 冥王星の発見 |
プロジェクト:人物伝 |
発見した小惑星 | |
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(2839) アネット | 1929年10月5日 |
(2941) オールデン | 1930年12月24日 |
(3310) パッツィ | 1931年10月9日 |
(3583) バーデット | 1929年10月5日 |
(3754) キャスリーン | 1931年3月16日 |
(3775) エレン・ベス | 1931年10月6日 |
(3824) ブレンダリー | 1929年10月5日 |
(4510) ショーナ | 1930年12月13日 |
(4755) ニッキー | 1931年10月6日 |
(5701) バルタック | 1929年10月26日 |
(6618) ジムシモンズ | 1936年9月16日 |
(7101) ハリティーナ | |
(7150) マッケラー | 1929年10月11日 |
(8778) 1931 TD3 | 1931年10月10日 |
クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh, 1906年2月4日 - 1997年1月17日)は、アメリカの天文学者。1930年に冥王星を発見した業績で特に知られている。
生涯
トンボーは、イリノイ州のストリーターで生まれた[1]。高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが、そこで農場が雹で壊滅し、大学進学を諦めざるを得なかった[1]。彼は独学で学問を続け、1926年には初めて天体望遠鏡を自作した。その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いた[1]。
これらの望遠鏡で観察した火星と木星の記録を、アリゾナ州フラッグスタッフのローウェル天文台に送ったところ、その力量が認められ、天文台に雇われることとなった[1]。
1932年にはカンザス大学に入学。1936年に学士号、1939年に修士号を取得した後、再びローウェル天文台に戻った[1]。
第二次世界大戦中の1943年から1945年にかけて、アリゾナ州立大学でアメリカ海軍に航法を教えた[1]。
戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は、1946年からニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル実験場で9年間働いた後、1955年から1973年に引退するまで、ニューメキシコ州ラスクルーセスのニューメキシコ州立大学で教員を務めた[1]。引退後はニューメキシコ州立大学のトンボー基金のためアメリカとカナダで講演に奔走した[1]。
死
1997年1月17日、91歳の誕生日を迎える直前にラスクルーセスの自宅で亡くなった[1]。
彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体探査機ニュー・ホライズンズのコンテナに納められた。コンテナには以下の銘文が刻まれている[2][3]。
INTERNED HEREIN ARE REMAINS OF AMERICAN CLYDE W. TOMBAUGH, DISCOVERER OF PLUTO AND THE SOLAR SYSTEM'S 'THIRD ZONE'. ADELLE AND MURON'S BOY, PATRICIA'S HUSBAND, ANNETTE AND ALDEN'S FATHER, ASTRONOMER, TEACHER, PUNSTER, AND FRIEND: CLYDE W. TOMBAUGH (1906-1997)
(訳)ここに納めるは、冥王星および太陽系"第三領域"を発見したアメリカ人、クライド・W・トンボーの遺灰である。 アデルとムーロンの息子、パトリシアの夫、アネットとオールデンの父、天文学者、教師、駄じゃれ好き、そして我らの友、クライド·W·トンボー(1906-1997)。
業績
冥王星の発見
ローウェル天文台に勤務してからは、天文台長のヴェスト・スライファーの下で天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わった。
新惑星の探索には、撮影時刻の違う同一星野を見比べて、動きがある星はないかを確認するために、当時最新鋭の技術であった点滅コンパレーターが使われた。彼は、ローウェルが9番目の惑星があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続けた。
1930年2月18日、前月に撮影された写真と比べて動きがある天体があることに気づいた彼は、その天体が海王星より彼方にあること、小惑星ではないことを確認し、それが第9番目の惑星であると確信した[4]。
命名に当たっては、当時11歳の少女ヴェネチア・バーニーの提案を採用し、5月1日に Pluto と発表した。これはプルートーがローマ神話の黄泉の神で、自分を人々から見えないようにすることができたこと、プルートーの頭文字2文字が Percival Lowell の頭文字と共通することなどの理由によるものである。
その他の業績
トンボーはその後も新惑星を探したが、黄道周辺には同じ程度の明るさを持つ惑星は見つけられなかった。
ローウェル天文台での観測で、彼は数百の変光星、800近い数の小惑星、2個の彗星の他、29,000にも及ぶ銀河を発見している[1][5]。
冥王星のほかに、彼は生涯に800近い小惑星を発見した。そのうち、(2839) アネット、(2941) オールデンは娘[6]と息子[7]から、(3310) パッツィは妻パトリシア[8]から、その他5個は彼の孫たちから名を取っている。また、1931年に発見していた彗星(C/1931 AN)は2012年に発見された彗星と同一だと判明して274P/トンボー・テナグラ彗星と名付けられた。
その他
トンボーはUFOにも関心を持ち、1950年代には軍の要請でUFOの調査をしていたともいわれる。しかし実際にトンボーが(小惑星観測の実績によって)軍から依頼されていたのは宇宙開発の上で危険となりうる地球近傍の物体を探索する調査で、これがマスメディアによってUFO記事と結び付けられたものである[9]。
賞歴
- 1931年:ジャクソン=グウィルト・メダル(王立天文学会)[10]
エポニム
出典
- ^ a b c d e f g h i j “Clyde Tombaugh Biography”. http://www.achievement.org/autodoc/pagegen/index.html. American Academy of Achievement (2010年10月14日). 2013年4月25日閲覧。
- ^ http://thegeektastics.com/wp-content/uploads/2013/02/Tombaugh-Memorial.jpg
- ^ Buckley, M.; Alan Stern (2006年2月3日). “Happy 100th Birthday, Clyde Tombaugh”. JHU Applied Physics Laboratory. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “Kansas State Historical Society portrait”. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “Tombaugh, Clyde William (1906-1997)”. The Encyclopedia of Science. The Worlds of David Darling. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “(2839) Annette = 1929 TP = 1937 AB1 = 1939 UL = 1962 TE = 1970 BB = 1972 XF1 = 1982 VP”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
- ^ “(2941) Alden = 1930 YV = 1933 WH = 1947 BD = 1976 JY8 = 1982 FA2”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
- ^ “(3310) Patsy = 1930 MH = 1931 TS2 = 1934 FB = 1939 CM = 1939 EC = 1948 YB = 1971 HO = 1983 TC1 = 1984 WW”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
- ^ Redpath, Martina (2013年7月18日). “Clyde Tombaugh and the Mysterious Satellite”. Armagh Planetarium. 2015年6月14日閲覧。
- ^ “Medallists of the Royal Astronomical Society”. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “(1604) Tombaugh = 1920 EC = 1930 DX = 1931 FH = 1933 SA1 = 1936 FA = 1937 JH = 1941 CF = 1943 OE = 1948 ME = 1949 ST1”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
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