カルビー
カルビー
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カルビー株式会社(英: Calbee, Inc.)は、日本のスナック菓子メーカー。シリアル食品(グラノーラ)なども製造・販売している。
注釈
出典
- ^ コーポレート・ガバナンス - カルビー株式会社
- ^ 企業情報|カルビー
- ^ 本間之英『誰かに教えたくなる「社名」の由来』講談社+α文庫
- ^ a b c “米ペプシコ:カルビーに20%出資-海外でのスナック菓子販売強化”. Bloomberg (2009年6月25日). 2021年11月7日閲覧。
- ^ 松本晃インタビュー「会社は勉強の場ではない」『日本経済新聞』ネット版(2017年4月11日)
- ^ カルビー、なぜフルグラ大ヒット?透ける経営改革と「脱ポテト王」、世界企業への脱皮 ビジネスジャーナル(2014年3月1日)
- ^ a b “カルビーロゴはなぜ赤いのか?~社員も意外と知らない真相に迫る。”. カルビー (2022年7月19日). 2023年12月6日閲覧。
- ^ カルビー、本社を移転 日本食糧新聞社・2010年1月8日
- ^ カルビー:筒入りポテチ参入 年間100億円目指す『毎日新聞』2015年3月24日
- ^ 会社の歴史|カルビー
- ^ 相川真由美 (2024年4月1日). “カルビー、東京ディズニーランド・東京ディズニーリゾートとスポンサー契約を締結。新テーマポートのレストランなど3施設”. トラベル Watch. 2024年4月1日閲覧。
- ^ ジャガイモ輸送コンテナ船『ポテト丸』 カルビー株式会社、2021年11月7日閲覧
- ^ カルビーフューチャーラボ(2019年9月22日閲覧)
- ^ カルビー直営店
- ^ 【ジュニアプレス】ポテチ ご当地の味開発/カルビー 地元の人に試食依頼『読売新聞』夕刊2018年3月10日
- ^ a b c 『あの煌めきを再び!バブル期の人気商品3品を復刻!』(プレスリリース)カルビー、2018年3月7日 。2021年1月6日閲覧。
- ^ “秋冬限定クルミ入り「フルグラ」カルビー”. 朝日新聞 (2015年10月11日). 2015年10月13日閲覧。
- ^ フルグラ食後の血糖値の上昇が気になる方へ(G606)
- ^ 快進撃のスナック菓子の王者! ダントツを目指す攻めの経営 - テレビ東京 2012年8月30日
- ^ まっすぐ稼げ!飽くなき野心 - NHK 2017年10月2日
- ^ 恩田雅和 (2015年3月25日). “「放送史に残る名物番組の軌跡を追う」 卒業論文は「落語考」 放送局では長寿番組「紀の国寄席」を企画 定年直前に「繁昌亭」支配人へ” (pdf). 関西民放クラブ. 2023年8月16日閲覧。
- ^ 【カルビー ポテトチップス】の秘密(男の浪漫伝説 Vol.61) |ドリームメール
- ^ 『「Yesterday’s tomorrow」1号店を10月28日オープン』(プレスリリース)カルビー、2017年10月27日 。2021年12月24日閲覧。
- ^ 『『極(きわ)じゃが 焼きしお味』新発売!』(プレスリリース)カルビー、2017年7月12日 。2021年12月24日閲覧。
- ^ 『ポテトチップス47都道府県の味』(プレスリリース)カルビー 。2021年1月6日閲覧。
カルビー
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1965年、富士急行入社。 そこへかっぱえびせんが本格的に売れ始め首都圏へ販路を拡大しようとしたカルビーは関東に工場を建てることになり、松尾は父・孝から宇都宮へ工場建設用地の視察に行かされそのまま家業に連れ戻されることになり、1967年カルビーに入社する。 父・孝はかっぱえびせん販路拡大のためアメリカで評判になれば東京の流通も動かせるだろうと、1967年ニューヨークで開かれた国際菓子博覧会に出展する。同年11月、松尾はアメリカでのかっぱえびせん販売を目指して渡米し、菓子博でもらった名刺を頼りに企業訪問して回った。そこで松尾はNY卸大手ローレンツシュナイダー社トップのミルトン・ブラウンから半日かかりでスナックビジネスの仕組みを教わった。 1970年取締役、1972年常務取締役就任。カルビーでは仮面ライダースナックやサッポロポテトなどヒット商品が続き、原料ジャガイモが足りなくなったため北海道にマッシュポテト用の工場や貯蔵庫を建設したが、その管理がうまくいかなかった。そこで1975年1月松尾を団長とするアメリカ視察団が組まれ2週間滞在した。帰国後父・孝から突然ポテトチップス販売担当に任命される。同年専務取締役就任。 「カルビーポテトチップス」も参照 1975年9月カルビーからポテトチップスが販売される。発売当初は全く売れなかった。そこで松尾は1967年ブラウンから学んだことを思い出し、卸の習慣を変えることを決める。そこでポテトチップスに日本の菓子製品としては初めて製品年月日が刻印されたが、これは松尾のアイデアとされる。その他、CM戦略の変更など整え1976年6月から新体制で売り出すと、爆発的なヒットとなった。 1979年松尾は中田康雄をカルビーに呼び寄せている。1980年、ポテトチップス用ジャガイモの安定供給のためカルビーポテトを設立、代表取締役を兼務する。農工一体の社是のもと、ジャガイモ農家との栽培契約による原料調達の拡大、栽培農家と加工工場との調整を図り生産から加工までの体制を確立するなど、産地改革に挑んだ。 1982年、副社長に就任。実情は、ポテトチップスが売れだした1976年頃から父・孝はジャガイモ研究の方に熱心になり、経営は孝の息子たちへバトンタッチが進んでいたという。1987年、父・孝は社長を引退、長兄・松尾聰が2代目社長に就任する。この1980年代の副社長時代にシリアル市場への参入を画策し、のちのフルグラのメガヒットに繋がった。 1992年、長兄・聰の後を受け3代目社長に就任する。社長時代に開発から発売までに至った商品の中でメガヒットしたのがじゃがりこである。松尾はバブル崩壊後の不景気で先が見えない中でのヒットに、ようやく社長として一息つけた気がした、と後に回想している。 ただカルビーでは2000年代前半、ポテトチップスへの異物混入、じゃがりこへの未承認GMOの混入など、食の安全に関わる事故が続出した。2005年カルビーポテトが植物防疫法違反により書類送検、これらの責任をとる形でカルビー社長を辞任、会長に退いている。なお次の社長(4代目)は中田康雄が就任している。
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「カルビー」の例文・使い方・用例・文例
- 江(え)崎(ざき)グリコ,カルビー,森永製菓は常設店だ。
- カルビーは店内に設けられたキッチンでヘルシーなオリーブ油を使ってポテトチップスを作っているのだ。
- 世界一巨大なポテトチップスの袋が7月16日,北海道千(ち)歳(とせ)市(し)にあるカルビーの工場で作られた。
- 今年前半,カルビーは懸賞を行った。
- かっぱえびせんバーガーは,ロッテリアのエビバーガーとカルビーのかっぱえびせんを組み合わせたものだ。
- 一方カルビーは,ロッテリアのエビバーガーのような味がするかっぱえびせんを製造している。
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